詩集『智恵子抄』の智恵子と光太郎の姿が、波に遊ぶ海の小鳥、チドリたちとともに、本当にここにいたんだと感じ思い浮かべてしまい、とても感動しました。心を病んだとても悲しい智恵子と高村光太郎の九十九里浜高村光太郎詩集『智恵子抄』におさめられた詩、「風にのる智恵子」、「千鳥と遊ぶ智恵子」は、ずっと心に響き続けてある詩です。わたしにとって詩は、ひとであることのかなしみの海の波、いのちの海の小鳥、空からこぼれ...
久しぶりに、好きな詩の紹介をします。 『高村光太郎全詩集』(新潮社、1966年)を古本屋で入手して、分厚いので持ち出しては読めず、時間を見つけては読み進めていて、戦時の詩集についてもまた考え直してみたいと考えています。 今日紹介する詩「母におもうふ」は、これまで記憶していた詩ではなくて、今日読んでいていいなと、心に感じた詩です。確かめてみると、新潮文庫の『高村光太郎詩集』にも収録されていたので、私の...
私は、高村光太郎と彼の詩、そして智恵子、『智恵子抄』がとても好きです。すでに数回私なりの思いを記しましたし著名でもあるので、今回は私が好きだというそのことをただ繰り返し私自身を励ますために、ここに咲いてください、とお願いしつつ書き記します。 『智恵子の半生』の光太郎の次の言葉には、創作の本質についての真実があると私は感じ、深く共感せずにいられません。『智恵子の半生』「彼女の生前、私は自分の製作し...
日本の口語自由詩には伝統の積み重ねにより確立された形式面での詩学がありません。「日本語の口語を基本言語として書かれた言葉による作品」以上には共通の約束ごとはなく、詩を書く者それぞれが自ら「詩」と感じる方法、形式で作品を作っています。 それでも詩を読み詩を書こうとする者の間で暗黙に共有されている了解事項があり、学校の先生に教わらなくても、詩が好きな人は詩を読むことで自然に受け継ぎ身につけているのだ...
「詩を想う」に記した高村光太郎の詩「裸形」に咲いてもらいます。『智恵子抄』の詩は10代の私が初めて本当に好きになった詩で、ずっと好きな詩がたくさんあるけれど、今の私はこの詩にもっとも心を打たれます。出典は『智恵子抄』(新潮文庫、2003年改版)です。 裸 形智恵子の裸形をわたくしは恋ふ。つつましくて満ちてゐて星宿のやうに森厳で山脈のやうに波うつていつでもうすいミストがかかり、その造型の瑪瑙(めなう...