平安朝期、華麗に花開いた女流文学の中心で激しく生き美しい歌の花を咲かせた
和泉式部(いずみしきぶ)の作品、和歌と『和泉式部日記』について考えます。
1.彼女の生きざま 和泉式部は、結婚して娘の小式部内侍を産んだ後夫と離れ、契った為尊(ためたか)親王は26歳で夭折してしまいますが、彼の同母弟の敦道親王と出会い結ばれました。その出会いから親王邸に入るまでが『和泉式部日記』に綴られています。その後敦道親王も27歳で夭折(彼との子はその後出家)、宮仕えした後に再婚しますが、娘の小式部内侍にも先立たれました。様々な個性をもつ異性との交わり、親しいいのちたちとの出会いと別れが連続した激しい人生を生き抜きました。
2.歌日記 『和泉式部日記』は、敦道親王との恋の歌日記です。愛し合う男女の心にかかる虹のような歌が鮮やかに響き心を結んでいます。歌による心の奏で合いこそがこの作品の魂、散文は歌を運ぶ時の流れ、背景となっています。
和泉式部も、敦道親王も、思いを歌に込め投げかけ投げ返すのが、とても上手く、機を逃さず素早く、時には間をおいて焦らす間もおいて、恋心の綾模様をふたりで紡ぎだしているようです。恋を成就させたいとの思いと情熱に歌が輝いています。
この時代の彼らの生活と切り離せない文化そのものから咲いた花だと思います。ふたりの歌のやりとりは、毎日繰り返し数え切れないほど行われた重ねられた、男と女の、心と心の、歌いあいが、最も美しく描き出された文化のシンボルではないかと感じます。
一方で、この日記の歌は、ふたりの恋物語の流れにゆらめく波の輝きとなっていて、それだけを切り出そうとするとその光は弱まってしまうと感じます。男と女の、ふたりの心の、投げかけあいとして、この物語のその時にこそ光り輝いている歌だから、歌物語の輝きを感じとってこそ、その美しさが心に響いてくると私は思います。
3.和歌
和泉式部は、いのちを和歌で燃え輝かせた歌のひと、紫式部が物語で深く濃く成し遂げたものを、和歌の世界で歌いあげた、ほんものの文学のひと、豊かな才能をおしみなく歌に注ぎ込んだ女性詩人です。残された膨大な歌は文化そのものが香っていて、日常の些細ななんでもないことまで歌にしているので、とても豊かな歌集を残しました。時代を鋭敏に反映しているので、機知、理知に走った技巧だけの空疎な歌もたくさんあるけれど、毎日毎日言葉を磨き歌い続けたからこそ、そこから、魂に響く美しい歌が生まれたのだと、思います。
彼女の歌がもっとも輝いているのは、
恋の歌と、
哀傷歌(挽歌)です。彼女の心の奥底から響いてくる、魂を揺さぶる響きには、嘘でない切実さがあります。愛おしさ、憧れ、歓喜、悲しみ、痛み、嘆き、空しさ。
彼女は、ひととの出会いと交わりの荒々しい海を、女性にとって生きやすいとはとても言えなかった時代に、漂流するように、こぎ渡り、生き抜いて、歌い続けました。愛のよろこびとかなしみのこころ、魂、いのちの思いを、歌いあげました。
歌は心の感動です。歌のほんとうの生命はそこにしかないと私は思います。だから和泉式部の良い歌を読むと、今生きている女性の歌ではないかと感じてしまいます。彼女は死んだけれど、歌は生き続けています。
和泉式部の和歌のうち、私がとくに好きな歌を選んで「愛(かな)しい詩歌」に次回咲かせます。
出典・参照
・ 『和泉式部日記―現代語訳付き』(近藤みゆき訳注、2003年、角川ソフィア文庫)。
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