萩原朔太郎の『恋愛名歌集』を通して、日本語の歌の韻律美をより深く聴きとる試みの3回目です。前回は頭韻や脚韻を考えましたが、今回は
より微妙で柔軟自由な自由押韻と、
言葉の音色・色調・ニュアンスを感じとりつつ、
想(内容)と音象の望ましい関係について考えます。
1.微妙で柔軟自由な自由押韻 日本語の韻律美についても頭韻や脚韻は、各句(呼吸)の始りと終りなので、その響き合いはわかりやすく感じます。朔太郎はさらに踏み込んで、
「柔軟自由な自由押韻」を聴きとります。彼は、
「音楽的で、韻律上の構成が非常に美しく作られている」例として次の歌をあげます。
みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ Mika-No-hara Wakite-nagaruru Itsumi-kawa Itsumi-kitoteka Koishi-karuran この歌の韻律美は、「カ行Kの音と母音Iとを主音にして、一種の
「不規則なる方則」による押韻対比を進行させている」ところにあるとします。
ローマ字書きした文字の並びを見ても、Kの音と、Iの音が現れる位置はまったくの
「不規則」です。でも歌を詠むと、この二音が「押韻対比を進行」していること、清流のきらめきのように、不意に跳ね、不規則に光り、響きあっていることが、この音の流れの美しさのいのちだと、聴きとることが確かにできます。
微妙で柔軟自由な自由押韻が
日本語の韻律美、歌の調べなんだと、私は彼に教えられました。
2.言葉の音色・色調・ニュアンス 詩句となる、
言葉ごとの個性、言葉の音色、色調、ニュアンスにも、朔太郎はとても敏感です。今回の引用原文にはこれらについての感覚的な言葉を集め、特徴的な点を考えてみました。
① 母音は口の開き具合で音の明るさが異なっている。「母音の陰陽」、「AとOとの開唇母音」、「Iの閉唇母音」、
「全体にUの母音を多く使っているため、静かに浪のウネリを感じさせる音象」。
② T、K 、Sなど、子音は、歯と唇と、息の吐き方漏れ出方で、響きの特徴、感じ方が変る。「T・K等の固い子音にIの母音を附して用い、歯の噛み合うような冷たい緊張」、
「Sの子音を用い、前の緊張が歯から漏出するよう」、
「KとSとの子音重韻、これ等の歯音や唇音は、それ自身冷たく寒い感じをあたえる」、
「カキクケコのK音とサシスセソのS音」は「如何にも寒そうな感じがする」。
③ 同じ音でも、表す想によってニュアンスは微妙に変る。「Nagaki(長き)と Nageki(嘆き)」のNaは、「声調がネバネバして、どこか物倦(う)く」感じられる。
Natsukashii(なつかしい)、Nagare(流れ)、Nanohana(菜の花)のNaは、ネハネバだが、物憂くはない。
3.調想不離が最上の歌 以上を踏まえての朔太郎の次の言葉に、私は深く共感します。
「歌では想の修辞と声調の音象とがよく融和し、(略)調想不離の作を以て最上とする。調と想が別々になり、音楽と内容が分離しているものは二流である。」
言葉の響きによる音楽としての「音象」と、言葉の意味による表象「想」を、共に、同時に奏でることができるのが、芸術としての詩歌の本質的な特徴であり、感動の源だと、私は考えます。
言葉の音楽だけでは、楽曲や歌謡にほど強い感動は伝えられず、言葉の意味を運ぶには散文の強い力に及ばないにもかかわらず、
詩歌は音象と想を織りなし感動を響かせ伝えることができる、ただひとつの芸術です。
「想の修辞と声調の音象とがよく融和」した「調想不離の作」が、詩歌ができること、詩歌にしかできないものを、最も美しく強く心に響かせうると、私も考えています。
次回は『恋愛名歌集』の最終回で、日本語の歌の韻律美を総合的にとらえて、」
口語自由詩に生かすことを考えます。
◎以下は、朔太郎の原文です。 解題一般
(略)日本語には建築的、対比的の機械韻律が殆んどなく、その点外国語に比し甚だ貧弱であるけれども、一種特別なる柔軟自由の韻律があり、母音、子音の不規則な―と言うよりも非機械的な配列から、頭韻や脚韻やの自由押韻を構成して、 特殊な美しい音律を調べるのである。
あらざらむこの世の外の思ひ出に今一度(ひとたび)の逢ふこともがな Aあaらaざaらaむ・こoのo世oのoほoかaのo・おoもoひiでeにi・
Iいiまaひiとoたaびiのo・逢oふoこoとoもoがaなa(略)
AとOとの開唇母音を重韻にし、中間にIの閉唇母音を挿んで調を構成している(略)。
重韻の外、上句初頭のAと下句初頭のIとが、同じ母音の陰陽で対比している点を見るべきである。
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは(略)この歌上三句までは、主としてT・K等の固い子音にIの母音を附して用い、歯の噛み合うような冷たい緊張の感をあたえる。次に下四句以下主としてSの子音を用い、前の緊張が歯から漏出するように構成されてる。したがって想の情操とよく一致し、どこか歯を食いしばって怨言(えんげん)する如き感覚をあたえるのである。(略)
長き世の尽きぬ嘆きの絶えざらばなにに命をかへて忘れむ(略)
「長き世の尽きぬ嘆きの」という言葉も象徴的だが、全体に声調がネバネバして、どこか物倦(う)く人を惹きつける魅力がある。その分解を示せば上二句でNagaki(長き)と Nageki(嘆き)の韻を合わせ、かつKiとNoとを対比にして重韻してある。次に第四句に移って、拍節音のNaを第一句の主音Naと対韻させ、兼ねて「嘆き」のNaとも重韻してある。
由良の戸を渡る船人(ふなんど)梶(かぢ)を絶え行方も知らぬ恋の道かな
Yuranoto o
Wataru funando
Kajio tae
Yukue mo shiranu
Koino michikana. 上三句までは序であるが、同時に比喩にも使われている。(略)第一句の集音U(Yは母音であるからUに韻が掛ってくる)を、第四句で「行方」のUに対韻させ、かつ全体にUの母音を多く使っているため、静かに浪のウネリを感じさせる音象を持ち、その点で比喩の想とよく合っている。洗練された芸術が持つ「美」の観念をはっきり啓示してくれる歌である。
みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ 上三句までは序で、四句の「いつ見き」を声調に呼び出すための前奏である。こうした序は全く音律上の調子を付ける為で、内容的には何の意味もないノンセンスである。しかしまたこうした歌に限って音楽的で、韻律上の構成が非常に美しく作られている。(略)
Mika-No-hara Wakite-nagaruru Itsumi-kawa Itsumi-kitoteka Koishi-karuran 即ちカ行Kの音と母音Iとを主音にして、一種の「不規則なる方則」による押韻対比を進行させている。そのため非常に音楽的で調子がよく、内容の空虚にもかかわらず調子の魅力で惹かれてしまう。
鵲(かささぎ)のわたせる橋におく霜の白きを見れば夜は更けにけり (略)この歌を読むと不思議に寒い感じがして、(略)その効果はもちろん想の修辞にもよるけれども、声調がこれに和して寒い音象を強くあたえる為である。
即ちこの歌の音韻構成を分解すれば、主としてKとSとの子音重韻で作られている。そしてこれ等の歯音や唇音は、それ自身冷たく寒い感じをあたえるからだ。ローマ字で示せば次の如し。
Kasasagi-no Wataseruhashi-ni Okushimo-no Shiroki-o-mire-ba Yowa-fuke-ni-keri. きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかも寝む (略)如何にも寒そうな感じがする。そして音韻構成も前の歌と同様である。即ちカキクケコのK音とサシスセソのS音を主調んにして重韻している。(略)
(略)
歌では想の修辞と声調の音象とがよく融和し、(略)
調想不離の作を以て最上とする。調と想が別々になり、音楽と内容が分離しているものは二流である。
出典:『恋愛名歌集』(1931年・昭和6年、第一書房、1954年、新潮文庫)。
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