歌謡と詩歌の交わりの視点から、
古代歌謡をみつめています。今回は出典の
小島憲之氏「古代歌謡」をとおし、句数(音数)から表現形式の特徴を考えます。
句数(音数)が奏でる音数律は、明確で厳格な頭韻や脚韻や口語韻の押韻規則をもたない日本語の韻文においては、とても大切なものです。
これまで考えつくされたかのようにも思えたこの主題についての、著者の、
歌謡という視点からの、
ユーカラや琉球古謡という広く豊かな母体と照らし合わせた以下の考察には発見があり、深く考えさせられるものがあります。
「
琴歌譜の譜曲あるいは口から採集したユーカラや琉球古謡を見れば、いかにも古代歌謡に省略記載の箇所が多く、」「
残った歌詞のみで句数等を決定することは不十分である。奇数句偶数句の問題もくり返しが文字に記載されたか否かに決定権があるわけであり、
5・7の短歌形式にさらに七音の一句を加えた歌体を有する「仏足石体歌」も最後の7音は唱和、くり返しがそのまま残されたのであって、古代歌謡も実際謡われた場合にはかかる唱和体が多かったのではあるまいか。」
「
古代歌謡では、
みもろの いつかしがもと かしがもと ゆゆしきかも かしはらをとめ (音数4・7・5・6・7)
のごとく動揺しているものが多い。しかし「志都歌」として謡われる時にはそれぞれ引き延ばされたものと思われ、動揺あるいは不安定というのは筆録文学として眺めるためである。」
前々回にもこのことに少し触れましたが、
謡われたか、詠まれたか、で句数(音数)の見方は変ってしまいます。言い換えると、
歌謡として捉えるか、筆録文学として捉えるか、の視点の違いです。
私は、例えば上に引かれた例の場合、「謡われる時にはそれぞれ引き延ばされたものと思われ、動揺あるいは不安定というのは筆録文学として眺めるためである」という著者の鋭い主張がおそらく当たっているのだと感じます。
音数4の「みもろの」、音数6の「ゆゆしきかも」は、(たとえば「み《い》もろの」、「ゆゆ《う》しきかも」のように)、それぞれ引き延ばされて謡われたのだと思います。
そして
筆録文学として詠まれるときにも、(例えば字余りの短歌の音を早く詠むことでバランスをとるように)若干の緩急・引き延ばしで音数・呼吸のバランスがとられたのだと考えます。
(字余り、動揺あるいは不安定な「自由音数律」と捉えることも、視点の違いで間違いではありません。(言葉だけの音数に不安定を許す自由さがあるために、緩急・引き延ばしでバランスをとっているのは事実だからです。)
このことに続けての以下の、
5音と7音の安定性についての考察、
長歌と序詞についての考察にも無理がなく、当たっているように私は感じます。
「
早くより日本語の構成と韻律に関して最も安定したものが5音と7音であった」。
「
くり返される句は7音であってそれが結句として歌の最後を抑える傾向をもつ。」
「
「個」の自覚の遅かった古代歌謡においては、身振り舞踏などを伴いつつ、あるいは相手の附加を予想しながらあるいは対句、反復をくり返しながらどんどん5・7は続けられた。」
「問答をくり返しながら歌謡は進行して行くのである。地名を詠み込むいわゆる
道行(みちゆき)風の歌(書紀)も同じ性質のものとも見られる。」
「長歌には
序詞が長く続き、」「
ユーカラの如く、「かけ合い」あるいは問答的に交互に謡いつつ進んで来たのではなかろうか。」
「謡い手(作者)はもっとも手近な風物自然から謡い始めるとよいわけで、歌詞は一人以上によってドンドン続けられていく」
私は長歌のゆたりゆたりした海の波の揺り返しのようなリズムがとても好きなので、このリズムは、「対句、反復をくり返しながら」「ユーカラのようにかけ合い、問答的に交互に」進んでゆく質の響きだと感じます。長歌の良いものは、日本語の詩として、ある程度の句数の長さをもちながら、ゆたかな美しい響きとなりえた詩歌だと、今も考えています。
三回にわたり、表現形式に焦点をあてて古代歌謡をみつめました。次回からは、心に響く歌謡を聴きとっていきます。
●以下、出典からの引用です。 次に歌謡の形式を眺めてみるに、句数(音数)や、歌体などが問題となる。
琴歌譜の譜曲あるいは口から採集したユーカラや琉球古謡を見れば、いかにも古代歌謡に省略記載の箇所が多く、これに対して在来の形式に関する取り扱い方は記載面のみに注がれた嫌いがある。古事記の「神風の」七句の歌も実際に歌われた時には少くとも神武紀の
神(かむ)風の伊勢の海の大石にやいはひもとほる細螺(しただみ)の《細螺の》《あごよあごよ》細螺のいはひ廻(もとほ)り 撃ちてし止まむ《撃ちてし止まむ》
以上に長くなっていたものと思われ、
残った歌詞のみで句数等を決定することは不十分である。奇数句偶数句の問題もくり返しが文字に記載されたか否かに決定権があるわけであり、
5・7の短歌形式にさらに七音の一句を加えた歌体を有する「仏足石体歌」も最後の7音は唱和、くり返しがそのまま残されたのであって、古代歌謡も実際謡われた場合にはかかる唱和体が多かったのではあるまいか。(略)
萬葉集になると次第に5・7・5・7・7の五句の奇数句に落着いて来るが、
古代歌謡では、
みもろの いつかしがもと かしがもと ゆゆしきかも かしはらをとめ (音数4・7・5・6・7)
のごとく動揺しているものが多い。しかし「志都歌」として謡われる時にはそれぞれ引き延ばされたものと思われ、動揺あるいは不安定というのは筆録文学として眺めるためである。 しかしそれはともかくとして記載されたままを計算すると五音句が第一位、次に七音句、次に六音句となり、
早くより日本語の構成と韻律に関して最も安定したものが5音と7音であった事が断定出来 ― その理由は人によっていろいろ説かれているが定説はない ― 「諺」や(略)呪詞(Spell)においても同様なことがいえる。
5・7のくり返しで最も短いものは
「片歌」であって、(略)「「本岐之片歌」のごとく一方の歌を愛予想し、
はしけやし わぎへのかたよ くもゐたちくも (音数5・7・7)のごとき形をもつ。(略)この形式は問答体やかけ合いに多く、(略)
5・7がもとからもっとも安定したものであったことがわかる。この5・7を中心としてあるいは片歌形と短歌形、短歌形と片歌形の結合などいろいろあるが、それは古今集時代の7・5調に対して5・7を基調としている。
5・7形式の反復は第二句を第五句でくり返すもの、第三句を第六句でくり返すもの、などいろいろあるが、
くり返される句は7音であってそれが結句として歌の最後を抑える傾向をもつ。5・7の反復が何句以上も続き最後が7でむすばれるものを
長歌形式と呼び、この結句は5・7・7が普通であるが、書紀の「みなしたふ うをも うへにでてなげく」のごとく5・3・7で結ばれるものもある。長歌は五十句に近い叙事的な長篇のものさえあって、
「個」の自覚の遅かった古代歌謡においては、身振り舞踏などを伴いつつ、あるいは相手の附加を予想しながらあるいは対句、反復をくり返しながらどんどん5・7は続けられたのである。(略)問答をくり返しながら歌謡は進行して行くのである。地名を詠み込むいわゆる道行(みちゆき)風の歌(書紀)も同じ性質のものとも見られる。(略)
とくに長歌には
序詞(じょことば)が長く続き、たとえばbいわんために序の形でa a1 a2・・・anと歌い続け、長い序が終ってはじめてbが出て来、(略)かかる発想法はbを謡うために最初に長い序が考えられたというよりも、
ユーカラの如く、「かけ合い」あるいは問答的に交互に謡いつつ進んで来たのではなかろうか。これはa・・・・・anまでの序に対句の反復が多い例によっても裏書でき、この際、謡い手(作者)はもっとも手近な風物自然から謡い始めるとよいわけで、歌詞は一人以上によってドンドン続けられていくのである。(略)
出典:
「古代歌謡」小島憲之『古典日本文学Ⅰ』(1978年、筑摩書房)所収(* 漢字やふりがな等の表記は読みやすいよう変えた箇所があります。)
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