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古代の民謡、歌垣の歌

 歌謡と詩歌の交わりの視点から古代歌謡を見つめています。今回から作品そのものから、聴きとります。最初は古代の歌垣で謡われた民謡です。

作品(原文と訳文)

歌垣の歌  

  霰(あられ)降る 杵島(きしま)が岳(たけ)を 嶮(さが)しみと、
  草取りかねて 妹が手を取る


〈訳:
(霰降る)杵島の岳が嶮しいので、(山に登るのに)草に取りつくことができずに、妹の手を取るよ。〉

  高浜(たかはま)に 来寄する浪の 沖つ浪。
  寄すとも寄らじ、子らにし寄らば。


〈訳:
高浜(地名)に寄せて来る沖の浪。(その沖の浪が)寄せて来ても、(私は)寄らないで、子らに寄ろう。
*子らは、娘たちをいう。〉

 古代歌謡の母体には民謡があります。民謡はわかりやすく誰もが共感しやすい言葉、日常生活の俗な言葉で謡われますが、論理的な意味がつながらない、なんとなくわかるがつじつまは合わない歌詞も多くあります。
 そのことについては、引用文献の「遊び文句」という捉え方が的確だと私は思います。

 歌う目的、歌う集団の者で共有したい言葉、言いたい言葉、伝えたい言葉は、短く簡単なもので、それ以外の大部分の歌詞は「遊び文句」、意味はどうでもよい語呂合わせ、なんとなくわかれば雰囲気や情景が共有できて楽しむための歌詞にすぎないことが多い、ということです。
 それが民謡的発想、民謡のおもしろみでもあると、感じ取れればよいのではないかと思います。

 そして次の言葉が民謡の本質を射ぬいていると私は感じます。
 歌がうたわれるのは、歌の場をなしている行事や労働などの目的を助けることにおもな目的があって、単なる娯楽のためではないから、歌の目的のみならず、歌の主題や素材も、歌の場と関係することが多く、その場に参加している人々全体に関係の無い個人的な経験や感情を歌うようなことは、拒否されるのである。

 この歌垣の歌2編も、肝心な文句はとても短いものですが、男女が情感をこめて求愛のために謡いあったとき、お互いのこころを充分に高めあい、結びつけ合う心のこもる響きだったのではないでしょうか。
 言葉は短くてもよく、本当は無くてさえよくて、その時その場の生の声のふるえを伝えあうことが、歌謡のいのちだからです。歌垣の歌の言葉の素朴さが逆に、そのことを教えてくれていると、私は思います。

以下、出典からの引用です。

 民謡は春の山遊び(山行き)や秋の盆踊りなどの年中行事、臨時の祝い事、田植えや臼挽きなどの労働作業など、村という共同社会の成員の集団作業で歌われるものが多く、ひとりで歌われる民謡は、牛追い歌とか櫓漕ぎ歌などきわめて限られたものがあるにすぎない。そして歌がうたわれるのは、歌の場をなしている行事や労働などの目的を助けることにおもな目的があって、単なる娯楽のためではないから、歌の目的のみならず、歌の主題や素材も、歌の場と関係することが多く、その場に参加している人々全体に関係の無い個人的な経験や感情を歌うようなことは、拒否されるのである。(略)

(一首目の解説)
 もしこの歌が歌い手の体験を歌ったものであるなら、「草取りかねて 妹が手を取る」は、歌垣における男女の結合ないし婚約を意味する「即興的主題」(歌の場=環境に即した主題の意)であり、それ以外は「遊び文句」にすぎない。(略)「・・・・・岳を嶮(さが)しみと 草取りかねて」は「妹が手を取る」の理由づけをなす遊び文句なのである。だから合理的であるとか不合理であるかということは問題外であって、むしろ大の男が、「草取りかねて 妹が手を取る」という反合理的なおかしさが、遊び文句としての生命なのである。

(二首目の解説)
 これは『常陸風土記』茨城郡高浜の条に出ている二首の民謡の一つ。(略)
 歌は「高浜」の地名を詠み込んで、そこに「来寄する浪」(即境的景物)を提示し、その「寄す」から歌垣の行為「子らに寄る」(即境的主題)に転換した型どおりの民謡的発想である。民謡における語呂合わせは、即境的景物または行為(Aで表す)から、人事的な恋の主題(Bで表す)に転換する方法として用いられるもので、この歌のおもしろさは、AとBがそれによってつなぎ合わされる点にあるのであり、言語遊戯そのものを目的とする語呂合わせとは異なる。(略)「寄すとも寄らじ」は、「来寄する浪」から「子らにし寄らば」へ転換するためのいわば遊び車であって、「寄らじ」の目的格は何か、という日常論理的な問題は、歌の目的からいえば、実はどうでもよいことなのである。
 やや逆説的な言い方をすれば、「草取りかねて 妹が手を取る」のおもしろさが、不合理というより反合理(ひっくり返し)的論理にあるのに対し、この歌などは何に、「寄らじ」であるのか歌い手自身も答えられぬような、苦しまぎれのつなぎ方のおかしさにあると言えよう。

「記紀歌謡」土橋寛『鑑賞日本古典文学第4巻 歌謡Ⅰ』(角川書店、1975年)
(* 漢字やふりがな等の表記は読みやすいよう変えた箇所があります。)
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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