原民喜の詩から、私がとても好きな詩7篇をここに咲かせます。
心に響き、心打たれ、あらわれる思いにつつまれる美しい詩です。彼のこれらの詩は、わたしにとっての詩の、ある理想の姿です。私の心に刺さり忘れらずいつか心の一部となった詩句が愛しく光りかけてくれます。
1945年8月6日ヒロシマの人たちとともに曝された惨劇を彼は、
『原爆小景』の「コレガ人間ナノデス」、「水ヲ下サイ」などの連作詩として描き留め伝えました。読むたびに心が抉られる、とても痛い苦しくなる作品です。
小説『夏の花』や『廃墟から』の核となった残酷すぎる凄惨な記憶です。
これらの原爆の悲惨を見据えた詩と小説を読むと、私はとても辛く悲しくやりきれなくなります。でも、彼が死に物狂いで伝えようとしたもの、そのとき苦しみ亡くなった人たちの救いのない嘆きを、私は見つめ思い考え続けたいと願います。
ここにあげた7篇の詩作品は、死んでいった人たちの嘆きのためだけに生きようとした彼が、彼自身の心の悲しみと祈りを静かに綴った詩です。夢や星や花や小鳥が好きな彼本来の心のやわらかなやさしさが、透明な言葉の響きとなりふるえています。
原民喜が詩の言葉にこめた悲しみと祈りは、彼の心の願い、雲雀のように流星のように美しく、死んでいた人たちとともに、生きている人の心に、今ふるえています。
永遠のみどりヒロシマのデルタに
若葉うづまけ
死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ
とはのみどりを
とはのみどりを
ヒロシマのデルタに
青葉したたれ
讃歌濠端の舗道に散りこぼれる槐の花
都に夏の花は満ちあふれ心はうづくばかりに憧れる
まだ邂合したばかりなのに既に別離の悲歌をおもはねばならぬ私
「時」が私に悲しみを刻みつけてしまつてゐるから
おんみへの讃歌はもの静かにつづられる
おんみ最も美しい幻
きはみなき天をくぐりぬける一すぢの光
破滅に瀕せる地上に奇蹟のやうに存在する
おんみの存在は私にとつて最も痛い
死が死をまねき罪が罪を深めてゆく今
一すぢの光はいづこへ突抜けてゆくか
感涙まねごとの祈り終にまことと化するまで、
つみかさなる苦悩にむかひ合掌する。
指の間のもれてゆくかすかなるものよ、
少年の日にもかく涙ぐみしを。
おんみによつて鍛へ上げられん、
はてのはてまで射ぬき射とめん、
両頬をつたふ涙 水晶となり
ものみな消え去り あらはなるまで。
碑銘遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻
悲歌濠端の柳にはや緑さしぐみ
雨靄につつまれて頬笑む空の下
水ははつきりと たたずまひ
私のなかに悲歌をもとめる
すべての別離がさりげなく とりかはされ
すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ
祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに
私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに
死についてお前が凍てついた手で
最後のマツチを擦つたとき
焔はパツと透明な球体をつくり
清らかな優しい死の床が浮び上つた
誰かが死にかかつてゐる
誰かが死にかかつてゐる と、
お前の頬の薔薇は呟いた。
小さなかなしい アンデルゼンの娘よ。僕が死の淵にかがやく星にみいつてゐるとき、
いつも浮んでくるのはその幻だ
かけかえのないものかけかえのないもの、そのさけび、木の枝にある空、空のあなたに消えたいのち。
はてしないもの、そのなげき、木の枝にかえってくるいのち、かすかにうずく星。
出典:
『新編 原民喜詩集 新・日本現代詩文庫64』(2009年、土曜美術社出版販売)、「死について」『定本原民喜全集II』(1978年、青土社)。
「かけかえのないもの」は小説「小さな庭」から、『原民喜戦後全小説上』(1995年、講談社)所収。
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