今回は
『イタリアの詩歌―音楽的な詩、詩的な音楽』から、
ペトラルカの『カンツォニエーレ』126番の最初の詩節と、結びの詩節の抜粋を引用します。全68行の
定型詩カンツォーネの標準形です。
愛する女性への思慕の情が清流のように流れきらめいていて、せせらぎのように美しい抒情詩だと感じます。
700年近い時を流れてきた水を手にすくい口に含めることをとても嬉しく思います。
もうひとつ、著者・天野氏の定型詩カンツォーネについての言葉は、詩の定型、標準形ということについての考えを深めてくれます。
「何世代もの詩人たちが長い時間を掛け、膨大な試行錯誤を繰り返しながら作り上げていった伝統を、ペトラルカがこれまた長年にわたる推敲を積み重ねて集約し、それがさらに後の人々によって《標準形》として受け入れられた」。
「むしろ形式面に関しても作品ごとに詩人に創造力を要求する、それほど高級な、格式高い詩形」。
詩歌は言葉の芸術なのだから、
伝統を踏まえたものでしかありえない。伝統という言葉は垢にまみれているけれどその核にあるのは、少し先に生まれた命からの生きざまの受け渡しです。
一方そうであると同時に、個々の詩人の、伝統と格闘する
個性の創造力がなければ、心に響く作品は生まれてこない。
とても当たり前のことですが、やり遂げることは難しく、だからこそ生きる喜びともなりえるのが、芸術の創造、創作だと私は思います。
●以下は、出典からの引用です。1. ペトラルカのスタンツァ
さて、それでは『カンツォニエーレ』126番の最初の詩節の成り立ちをごいっしょに見ていくことにしましょう。
Chaiare, fresche et dolci ac
que, (7) a 1
Ove le belle mem
bra (7) b 2
Pose colei che sola a me par don
na; (11) C 3
gentil ramo ove piac
que (7) a 4
(con sospir’ mi rimem
bra) (7) b 5
a lei di fare al bel fiancho colon
na; (11) C 6
herba et fior’ che la gon
na (7) c 7
leggiadra ricove
rse (7) d 8
co l’angelico se
no; (7) e 9
aera sacro, sere
no; (7) e 10
ove Amor co’begli occhi il cor m’ape
rse: (11) D 11
date udenzia insie
me (7) f 12
a le dolente mie parole extre
me. (11) F 13
滑らかで涼しく甘美なる流れよ、
この中に、身を浸したのだ、
敬愛する貴婦人として私には唯一と思われる女性が。
高貴なる樹木よ、それには彼女が
(ため息とともに思い出される)
美しい身体を好んでもたせかけたのだ。
草よ、花よ、それらを彼女は
天使のような胸と雅やかな衣で
覆ったのだ。
穏やかなる聖なる風よ、その中で
愛神は(彼女の美しい瞳によって)私の心臓を射抜いた。
皆そろって聞いてくれ、
苦しみに満ちた私の最期の言葉を。
(Rvf, 126, 1-13)
*出典の原文にある各音節と強弱の記号は省略しています。( )内の数字は各行の音節数です。
ご覧のように計13行からなるスタンツァですが、その構成を(略)示しますと「a b C, a b C : c d e e D f F」(小文字は7音節詩行、大文字は11音節詩行。同じアルファベットは脚韻を踏む)ということになります。(略)
ひとつ強調しておきたいのは、上にまとめたカンツォーネの形態というものは決して《規則》ではないということです。トロバドール以降、何世代もの詩人たちが長い時間を掛け、膨大な試行錯誤を繰り返しながら作り上げていった伝統を、ペトラルカがこれまた長年にわたる推敲を積み重ねて集約し、それがさらに後の人々によって《標準形》として受け入れられたものだというのが正しい。ですから、ペトラルカ以前は言うまでもなく、以後の作品の中にも、いやそればかりかペトラルカ自身の作品の中にさえ、こうした標準形とは異なる形式のカンツォーネが見受けられます。トロバドールの時代このかた、カンツォーネというのは、むしろ形式面に関しても作品ごとに詩人に創造力を要求する、それほど高級な、格式高い詩形だったのです。
さて、この作品においては同一の構成を持つスタンツァが5個連結されています。(略)そして、最後に暇乞いの詩節であるコンジェードが置かれています。それでは、このカンツォーネのコンジェードを実際に確認しましょう。
Se tu avessi ornamenti quant’ai voglia, (11) A 66
Poresti arditame
nte (7) b 67
Uscir del boscho, et gir fra la ge
nte. (11) B 68
もしお前が自ら望むほどの美しさを備えていたならば
自信を持って
森をあとにし、人々の間へ出ていくこともできるのだが。
(Rvf, 1, 66-68)
*出典の原文にある各音節と強弱の記号は省略しています。( )内の数字は各行の音節数です。
ここで tu と呼ばれているのはこのカンツォーネそのものです。ペトラルカは、今作ったばかりのカンツォーネに向かって声をかける体裁をとりながら、(略)「本当はもっと美しい詩を作って世に問いたいところなのだが、こんな駄作では到底それは無理だ」と嘆いてみせているわけです。もちろん、これは修辞技法としての、つまり額面上の謙遜であって、実際にはむしろ作品の出来について並々ならぬ自信を持っていることの表れと解するべきでしょう。(略)
出典:
天野恵「第3章イタリアの詩形」から。『イタリアの詩歌―音楽的な詩、詩的な音楽』(2010年、三修社)
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