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詩って、ほんとはなんだろ?(三)  言葉の音楽、言葉の歌。

 標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について詩集を感じとりながら考えていますが、次の詩集をとりあげるまえに今回は「現代詩人」荒川洋治による詩の朗読批判を批判します。

① なぜ、批判するか
 ここで批判するのは、荒川洋治を代表選手とする時代の先頭で詩表現をしていると誤認識している、裸の王様のような、「現代詩人」と「現代詩」です。(文学を愛し古典に学び良い詩歌を創り伝えようとしている詩人の方々とその詩歌に対してではありません。)
 荒川洋治の言葉が「現代詩」の貧しさを、マスコミ新聞上で晒しているだけなら私は通り過ぎますが、私の大好きな「詩」「詩歌」が誤解され貶められ嫌われかねない吹聴は黙殺できないからです。

 私自身は朗読を積極的に行ってきた者ではありませんが、言葉の音楽が詩歌において何よりも本質的で大切なものと考え創作してきました。
 私は文字を黙読することとは別に、音読すること、朗読すること、朗読を聞くことも、言葉への感性をより豊かにする方法、また詩をより広く伝える方法として良いことだと考えています。
「美しい日本語」の響きに最も鋭敏でいつも感じているはずの詩人が、言葉の響きと音色の繊細な美しさを伝えようとすることは、とても自然なことではないでしょうか。日本にはもう詩なんか生まれなくなったと大部分の人が思っているなかで、詩の言葉の豊かさ、奥行きの深さを模索し伝えようとする詩人の努力に対して、何の理解も持てない人を私は詩人だと思えません。

② 詩歌は言葉による歌
 詩歌は楽曲(楽器に演奏による音)を伴わない、言葉そのものの音楽、言葉の音による歌です。古代歌謡から和歌へと移り変わった後どの時代にも、言葉の旋律を響かせ、言葉の調べとして歌われてきました。言葉の歌であることこそが詩歌の本来の個性、他の文学、物語や小説、散文では表せない、この文学の豊かさだからです。
 楽曲を伴う歌謡に比べると刺激的ではなく強弱も抑揚も音色の変化も微かなものです。節(メロディー)は変遷した後いつの時代にか喪われましたが、その繊細な調べの美しさは愛され続けてきました。
 詩歌は黙読されるとともに音読され朗読されてきました。黙読では感じとれない良さ、快さ、楽しさ、感動があるからです。魅力ないことを人は追い続けません。

③ 偏狭な詩の朗読批判を批判する(以下、●は荒川洋治、☆は私の言葉)。

●引用:荒川洋治による詩の朗読批判
「文字言語を選び、闘ってきた詩にとって朗読は自殺行為だ。朗読を意識したら詩の言語が甘くなる。すぐれた詩には文字の中に豊かな音楽性があり、それで十分。文字を通して音楽性を感じる力が弱まったから声で演じたくなる。文字言語を通して考え、味わう力を詩人が捨てたら詩に未来はない。朗読はやめて討論しよう。」(『昭和の読書』、幻戯書房)。

☆ 荒川洋治の詩についての言説に通底している、「現代詩」が詩歌の最先端、頂点にあるかのような誤認識、驕りを私はここに感じてさびしくなります。以下、詳しく批判します。

●「文字言語を選び、闘ってきた詩」
☆「現代詩」を自画自賛していますが、より正確に言葉を選ぶと私には「文字表現だけに偏執して閉じこもり、言葉の音楽性に鈍感になり言葉の響きを放棄し自ら干からびてきた詩」に思えます。

●「朗読は自殺行為だ。」
☆ 本来の詩に対する言葉としてはまったく逆です。「現代詩」は極めて言葉の音楽性に乏しいので朗読に耐えない、朗読で言葉の響きの快さを伝えるだけの質に達していないという言葉が正確です。「現代詩」の文字面だけの音楽性は美しくありません。古典の日本語の美しさを継承できずに、言葉の芸術表現として貧しく、衰え、劣化している事実に謙虚に気づかないと、詩は嫌われ無視され滅びます。言葉の歌を喪い散文の深みもなく文字面だけで「自己満足と自己陶酔」してきたのが「現代詩」です。

●「朗読を意識したら詩の言語が甘くなる。」
☆ これは意味のない文章だと思います。彼個人はそうなのかもしれませんが、一般化する何の根拠もありません。作品を黙読用、音読用、朗読用に、意識して詩人は作りわけるとでも言うのでしょうか?
 完成後にどのような方法で伝えるかには関係なく、詩人は創作のとき常に、言葉の音楽、響きに鋭敏でないかぎり、良い作品は生まれません。

●「すぐれた詩には文字の中に豊かな音楽性があり、それで十分。」
☆ 前半は当たり前のことです。詩の定義だからです。でも「それで十分。」なのは、読むことだけ、黙読に閉じこもりたがる彼または「現代詩人」の偏った嗜好にすぎません。声による響きには黙読とはまた違う美しさがあることを知らないだけ、もし知っているならその良さをなぜ故意に貶めるのでしょうか? 好みは人それぞれで良いですが、価値の優劣にすりかえ押し付ける主張は貧しい。

●「文字を通して音楽性を感じる力が弱まったから声で演じたくなる。」
☆ 誤っている、何の根拠もない決め付けだと思います。いつの時代にも続けられ愛されてきた詩を声で伝え感じとることを、彼または「現代詩人」が、独りよがりに止めているだけです。なぜ詩歌を、文字だけの表現に閉じ込め、黙読だけで読み取れと押し付けるのでしょう?
 言葉の音楽性を繊細に表現している作品は黙読しても美しく、音読、朗読でさらに発見、驚き、喜びをもたらしてくれます。詩の響きはいいなと、伝えてくれます。わからないのでしょうか? 朗読が好きじゃない、苦手、できない、したくないのは、個人の勝手ですが、他の方の表現努力、その魅力や良さを感じる心も度量もないのをさびしく思います。

●「文字言語を通して考え、味わう力を詩人が捨てたら詩に未来はない。」
☆ 伝える方法のひとつとして朗読を選ぶことと、何の結びつきもない無意味な主張なので批判もできません。
私は、この国にはもう詩人はいない、詩は生まれていないと一般の大多数の方に思われている悲しい現在の状況を見るとき、文字面だけの知と理屈の暗喩パズルの組み立てと黙読による解読遊びに閉じこもっている、「現代詩」にはもう未来がないと考えています。
 文学と詩が何より好きな私でも、「現代詩」は虚しく好きになれません。

●「朗読はやめて討論しよう。」
☆ 討論しよう、という呼びかけが、私にはとても奇異です。詩歌、文学は、創作され、伝えられ、感じとられるものです。どうして、朗読と討論が結びつくのでしょう? 討論して、「知を研ぎ澄まし言葉で無思想を築く」のでしょうか? 「暗喩の暗号化と解読方法」を研究するのでしょうか? 「現代詩」に討論はあっても、もう詩はないのではないでしょうか?

④ 言葉の音楽、言葉の歌を、よりゆたかに
 楽曲のある歌謡はメロディーやリズムの印象が強烈なだけに、言葉の音はおし隠されがちです。言葉の響きや音色そのものは詩歌ほどには大切にされません。
 言葉の音楽、言葉の歌を、ふるえと響きと音色、調べを感性で表現し伝えることができるのが詩歌です。詩であり短歌であり俳句です。

 黙読しながら人は無意識に舌を微かに動かし音をさがしたりします。音を意識し声に出し耳で確かめながら書く詩人もいます。さらに言葉の響き、声そのもの表現方法を工夫し朗読で伝える才能と情熱のある詩人がいます。

 どのように表現し伝えるか、それは詩人が独自の個性と才能をみつめて選び試みれば良いことです。
 伝えていく方法を工夫し、可能性を探り見つけ、言葉の音楽、言葉の歌である詩歌がより豊かになってゆくこと、心に響き続けてゆくことを、私は願っています。

 次回は、田川紀久雄さんの詩集『かなしいから』の作品を通して、言葉の音楽と言葉の歌を聴きとりたいと思います。
 
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』は2012年3月11日イーフェニックスから発売されました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
 ☆ 全国の書店でご注文頂けます。
    発売案内『こころうた こころ絵ほん』
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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