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崎本恵の詩集『採人点景』。 詩って、ほんとはなんだろ?(六)

 標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について、今回は詩人・崎本恵(神谷恵)さんの詩集『採人点景(さいとてんけい)』(1995年11月、私家版)を感じとりながら考えます。

1.詩と詩の木魂
 崎本恵さんは私の新しい詩集『こころうた こころ絵ほん』に言葉を寄せてくださった敬愛する詩人・作家です。ページ数の関係から文章を要約して頂きましたが、当初の原稿全体を別途私のブログで紹介しています。
   ☆リンク:崎本恵の言葉。『こころうた こころ絵ほん』に寄せて。

 この文章の中で、崎本さんの詩「息」と、私の詩「おやすみなさい」との照応、響きあいについて書かれています。私もまた同じ思いですので、作品を木魂させたいと思います。

 またこの詩集の他の収録作品の詩「ほたる」、詩「希い」についても、響きあう同じタイトルの作品を私も書いています。

 知らないところでひとりひとりが、魂をみつめ、こころを込めて、創作した作品たちが、個性をもちながらも、そのメッセージの音色の本質では、クリスチャンであるかどうかを越えて響きあっています。お読みいただくと詩の木魂しあう音楽を聴きとっていただけると思います。今回は崎本さんの詩を響かせ、おまけの次回私の詩をリンクします。木魂はちょっぴり遅れてやってきますので。

  ☆リンク:崎本恵の詩。詩「息」。 詩「ほたる」。 詩「希い」

2.詩と小説
 崎本さんはこの詩集のあと、作家・小説家へと歩みを進められ『家郷』をはじめ多くの心打つ小説を書かれています。
 この詩集について私に次のように伝えてくださいました。その言葉から詩とは何か、照らし出してみます。

☆ 崎本恵さんの言葉。
「採人点景」は吉川さん(詩人・吉川千穂さん)の「烈風」と同じ方法で作った詩集です。
実験としての試みでした。近代詩と現代詩の中間的表現、それから詩と散文の中間的表現。
そして私小説ならぬ私詩としての表現。結局、どれも旨くいかなかったという思いだけが残りました。
ですから、作ったものの、ほとんど送付することもなく、私の著作紹介にも載せないことにしています。
要するに幻の詩集です


① 近代詩と現代詩の中間的表現
  創作は作品ごとに「実験としての試み」であるし、「どれも旨くいかなかった」という自己評価の言葉は、崎本さんらしい謙遜だと私は受け止めます。評価するのは読者です、私がとても良い詩集だと思います。

 崎本さんは詩集『てがみ』(1993年、本多企画)で、抒情と批評性を織りあげ祈りを美しく結晶化されています。
 彼女は意味を伝えることを大切にされる詩人ですので、「近代詩と現代詩の中間的表現」であるのは自然だと思います。この言葉は「言葉の意味と抒情と批評性を喪わずに過剰な暗喩に遊ばない」と言い換えられ、私も同様の試みを続けている一人だからです。

② 私詩としての表現
 次に「私小説ならぬ私詩としての表現」の試みについて、私は次のように考えています。
 詩として作品化することは創作であり、どの作品も言葉による事実・経験の捉えなおしという意味では事実・経験そのものではなく、虚構です。
 一方で、書かずにはいられない魂、詩心の衝動を動機として創作する生まれながらの詩人は、地中深く埋もれ隠されていても、私的個人としての人生・心の経験を必ず水源にしていて、詩のいちりんいちりんはそこまで根を伸ばし詩の精を吸い上げています。
 ですから「私詩」であるかどうかは、実際にあった私的な事実・心の経験を、言葉を織りなす際にどこまで濃く織りこむか、どこまで吸い上げ浸されるか、その濃度のちがいではないかと思います。
 逆に言えば私は、心の奥底に根をはった私詩の精が響いていると感じとれない作品に心打たれることは、あまりありません。この詩集の作品には私詩の精が色濃く塗り込められていますが、昇華された響き、祈りの花となって咲いた姿を私は美しいと感じます。

③ 詩と散文の中間的表現
 私もこの詩集の作品は「詩と散文の中間的表現」だと思います。詩であるための二つの要素、比喩やイメージで表象を光らせることと、リズム、言葉の音楽で韻律を響かせること、これを捨て去ってはいません。
が、表象と音楽による詩としての作品の完成度を高めることは追求してはいません。(追求すればするほど、言葉の意味で伝えるという、散文としての要素は薄れます。)

 詩集『てがみ』の作品にも言えますが、崎本さんの詩はこの均衡上でふるえています。言葉の意味で伝えずにはいられないもの、(たとえば生きること自体への問い、社会の不正や悪の凝視、虐げられた弱者の思いを語ること)が、詩という形式を壊して溢れ出しそうな滴のように。だから彼女が、この『採人点景』の後、詩では表現しきれない思いを伝えるために、小説の創作へと歩まれたことが、私にはとても自然に思えます。
 崎本さんの小説の言葉の森の、一本いっぽんの木々の根の先には、詩の花が根をのばしていた魂と詩心の泉があります。彼女の小説が詩のように美しいのはそのためです。

 次回は木魂している私の詩のリンクです。
 
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』は2012年3月11日イーフェニックスから発売されました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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