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自殺を思うひとに

 この国では数年来の統計発表で、自殺者が毎年3万人を越え毎日90人近い方が死を選びなくなっていると公表されています。そうするしかなかったひとりひとりの苦しみと痛みが何も伝わらない数字だけが読み上げられることを悲しく思ってきました。同時に、毎日苦しい思いを抱きかかえ苦しみのうちに死を選ぶ方の思いが今あることに対して、何も伝えられない自分を悔しく感じます。
 今も自殺を思う方がいらっしゃると思います。私も十代の終わりから二十代の終わりまでそのひとりでした。だから私は、どうして死を選ばずに生きているのか、その思いを伝えることだけはしたいと思っています。

 私が二十代半ばに出版した第一作品集『死と生の交わり』は、生の側にいる自分自身が死との境界線でどちらを選ぶか考えさまよいながら、死を選び亡くなった方への思い、生きたいと願いながら殺された方への思い、と対話した記録です。それから二十数年生きてきた時間の中で、私のこの作品は読んで下さった方を死に近づける言葉を持っていないか、考えてきました。自分が死を選ばずに生きていることが、作品に込めたメッセージを伝えることだと言い聞かせつつ、そのように受け止められない恐れはないのか、との自問はいつもありました。
 一方でこの作品を出版した二十代の私が、腐りながら妥協しつつ生き延びようとし歳を重ねる自分を見詰めているから、無言の対話をしてきました。だから歳を重ねてゆく自分には、二十代の言葉は拙いけれど精一杯の思いと願いと祈りを込めた作品を、修正できませんでした。今も生と死の境界をさまよい最後は死なずに生きようと思ったその作品全体を、否定できない、否定していないからです。
 少し長くなりますが、作品の冒頭の詩と、最後の詩を引用します。ともに作品タイトルは「ねがい」です。作品集の中ではこのはじめとおわりの「ねがい」の間で、死により近づく言葉、生きることを懐疑する言葉、祈りへの思いも吐き出し、思いが生と死のどちらにも揺れています。どの思いも嘘でないと今も考えています。でも最後には、巻末の「ねがい」に込めた思いを抱いて死を選ばす生きようと私は思いました。

 ねがい

たとえ死が
たんなる意識の消滅・物質への回帰だと
信じられなくても
たとえ来世を復活を
信じられなくても
輪廻を解脱を
信じられなくても
死に感じうるものが未知なるものへの
恐怖にすぎなくても
最後の瞬間まで生に固執しつづける
生きものであるにしても
死をみつめ
生きたい


 ねがい

あなたの悲しみにわたしの悲しみを
あなたの痛みにわたしの痛みを
感じとりたい
あなたの涙にわたしを
見失おうとするのではなく
みつけだしたい

わたしの悲しみにあなたの悲しみを
わたしの痛みにあなたの痛みを
感じとりたい
わたしの涙であなたを流しさるのではなく
涙となってうちからわたしをつつむ
海に あなたを
みつけだしたい

瞬間 うかびきえる 波
ひとりの あなたを
ひとりの わたしを
みつめていたい

ねがいつづけるなら
わたしは ひとりであるときも
あなたは ひとりであるときも
生きていける
 


私は自分に、「ひとりであるときも 生きていける」と言い聞かせて生きようとしました。
 今、死を思わずにいられない方に、もうひとつだけお伝えしたい、私個人の経験からの思いがあります。
太宰治は自殺しましたが、私は人としての彼は好きで彼の作品を尊敬しています。『斜陽』の登場人物、自殺した直治の遺書に、次の言葉があります。少し長いですが引用します。

 僕は、もっと早く死ぬべきだった。しかし、たった一つ、ママの愛情。それを思うと、死ねなかった。人間は、自由に生きる権利を持っているのと同様に、いつでも勝手に死ねる権利も持っているのだけれども、しかし、「母」の生きているあいだは、その死の権利は留保されなければならないと僕は考えているんです。それは同時に、「母」を殺してしまう事になるのですから。(新潮文庫から引用)。

 私は自分に「生きていける」と言い聞かせてもそれでも苦しく悲しくてほんとに死にたかったときに、この言葉が、死を選ばずに生きようとする、生きようとし続ける支えのひとつになってくれました。今も思いは変わりません。

  私の詩のホームページの「好きな詩・伝えたい花」で紹介させて頂いた詩人の山下佳恵さんの詩「記念の日」、「いい子だよ」、「悩み」は、子が母をあおぎみる思いとは反対に、「母」だから産んだ子供にはじめて語りかけることができる「ねがい」の詩です。産んでくれたお母さんは、みんなが自分の子供が生き抜くように願ってくれている、心のどこかに必ずこのねがいを抱いてくれている、と私は信じます。「記念の日」を引用します。

 記念の日

あなたが生まれた瞬間から
大切な日に変わったふつうの日
はじめて二人で力を合わせた記念の日
生まれるために生きていくために

ぼんやりしていた目が次第にあうようになった日
動くものを追えるようになった日
声をたてて笑った日
寝かえりができるようになった日
おすわりができるようになった日
這い這いができるようになった日
つかまりだちができるようになった日
つたえ歩きができるようになった日
一人で立つことができるようになった日
ふみだしていく 一歩 二歩 三歩
一人でできていく記念の日は
どんどん どんどん増えていく
でもわすれないで一番大切な日
あなたの誕生日は
一人から二人にわかれた日
二人でしかできないもの
決してあなたは一人で生まれてきたのではない
一人で立っていることに疲れた日
つまずいて転んでしまった日に
どうか思い出して
生きていくために生きぬいていくために



 生き続けて、私は子供を授かり、今育て共に生きています。
 万葉集の山上憶良も私の尊敬する詩人です。彼の「老身に病を重ね、経年辛苦し、児等を思ふに及る歌七首」の次の歌は、今私の心が折れそうなとき、そっと支えてくれます。

 すべもなく苦しくあれば出で走り去ななと思へど子らに障りぬ
(すべもなくくるしくあればいではしりいななとおもへどこらにさやりぬ)
[なすすべもなく苦しくてたまらないので、この世を逃げ出してどこかへ行ってしまいたいと思うけれども、この子どもに妨げられて死ねない](伊藤博訳注 新版万葉集一 角川ソフィア文庫から引用。訳は一部変えました)。

 私は、今、死を思っている方の、悲しみ、苦しみに、何もできませんが、私は、生きていてほしいと思います。まだ死なないでほしいと思います。そう思っているのは、私だけではないと思います。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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