『日本の詩歌27 現代詩集』(中央文庫、1976年)を読んできました。今回でこの本の掲載作品を通しての詩想は最終回にします。
詩人・吉野弘(よしのひろし、1926年~)の
詩集『幻・方法』(1959年)に収録された詩「夕焼け」です。
この作品をはじめて私が読んだのはおそらく、中学校か高校の教科書だった気がします。好きになりました。いいな、と感じました。こんないい表現ができる詩ってとても素晴らしい表現だな、と素朴に思いました。
たとえばその頃好きだなと感じた高村光太郎の『智恵子抄』や石川啄木の『一握の砂』と、この詩「夕焼け」は親しくすぐ隣にあって、私を文学、詩の世界、心の表現へと誘ってくれました。
今、読み返してみても、いいな、好きだな、と感じます。
詩の入り口で私は、こんな詩を私も書きたいな、と思いました。その気持ちは今も変わりません。
夕焼け
吉野弘いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐(すわ)った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛(か)んで
身体をこわばらせて――。
ぼくは電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故(なぜ)って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。
今回は初めて読んでからずっと好きなこの詩とどこかで木魂していたと今思う私の作品を咲かせます。
詩「交わり ひとりであること」(高畑耕治『死と生の交わり』から)。 私の詩を読んでくださる方が、あの頃の私のように、偶然読んでああ好きだなと思ってくださるような詩を書きたい、そんな願いをいつも変らずに抱きながら、私は創作しています。
次回も吉野弘の作品をもう少しみつめ感じとりたいと思います。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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