この約百年間に
女性の詩人が生み出し伝えてくれた詩に
心の耳を澄ませ聞きとっています。
『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。
今回の詩人は
栗原貞子(くりはら・さだこ、1913年大正2年生まれ)です。
略歴には、主要
詩集『黒い卵』―戦争中の反戦詩歌集。
『私は広島を証言する』『ヒロシマというとき』などあげられています。
作品の末尾に、
四五・八(1945年8月)とある、広島の原爆の惨劇から人間をみつめ、問いかける詩です。
『核なき明日への祈りをこめて』(1990年)所収です。
読むととても悲しく苦しくなるので、眼をそむけたくなるけれど、そむけてはいけないと、心に強く訴えかけ迫ってくる詩です。
原民喜、峠三吉の詩も、私は同じような思いで読み返しますが、あの日の出生が書かれた詩は今回初めて読みました。数え切れない死のなかであった出産。
産婆の姿は、女性の尊さ、人間の尊厳そのものです。
詩人の叫びに限りなく近い祈りが心に射し込み、響きやみません。
伝えたい、いつもじっと見つめるのは苦しくてできないけれど、知る時間をもってほしい、忘れずに生きよう、そう強く願う詩です。
生ましめんかな
栗原貞子こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生まぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
次回も、女性の詩人の作品に心の耳を澄ませてみます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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