Entries

与謝野晶子の詩歌(六)。其中に女の私もゐる。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。

 今回は社会におかれた女性の位置を意識した批評性のある詩です。晶子は女性の社会的な立場や生き方について、積極的に評論を書き続けました。評論は直接的に意見を表明し、論理と熱意で納得させ、その意図する方向へ世論を導こうとする表現です。

 いっぽうで文学は論理であらわせないもの、結論のないもの、生活し生きている時間のなかでの真実を、心から心へ伝える表現です。

 晶子は、社会の中の女性を主題にした詩を何篇か書いていますが、熱が入りすぎて評論と同じような一般的な主張を詩行のかたちにした表現が多いと私は感じました。社会を、女性の立場、生き方を変えたいという思いの表れで、詩歌の作品として優れているかどうかは、実現することに比べたら重要ではなかった、そうすることを選んだのだと思います。

 そのなかで、詩「電車の中」は、文学、詩だからこそ、伝えられるものを表現している作品だと感じました。 
 ドキュメンタリー、実写、映像的に、ある出来事を描写してゆき、その流れに想念を織り込んでいます。
繰り返される次の詩句の響きも様々なものを含みこんでいて、読者の思いに沁みいり、揺り動かし、心に残ります。
 「其中に女の私もゐる。」

 晶子は、生涯歌い続けた短歌には、社会的な批評性は詠みこんでいません。短歌として生まれ出るもの、短歌でしか歌えないもの、詩のかたちで生まれ出るもの、詩だからこそ伝えられるもの、これらの違いを、作品を創りながら知り、言葉による表現の可能性を切り拓いていった、歌人、詩人、詩歌人だと思います。
 

  電車の中
        与謝野晶子


生暖かい三月半の或夜《あるよ》、
東京駅の一つの乗場《プラツトホーム》は
人の群で黒くなつてゐる。
停電であるらしい、
久しく電車が来ない。
乗客は刻一刻に殖えるばかり、
皆、家庭へ下宿へと
急ぐ人々だ。
誰れも自制してはゐるが、
心のなかでは呟いてゐる、
或はいらいらとしてゐる、
唸り出したい気分になつてゐる者もある。
じつとしては居られないで、
線路を覗く人、
有楽町の方を眺める人、
頻りに煙草《たばこ》を強く吹かす人、
人込みを縫つて右往左往する人もある。
誰れの心もじれつたさに
何《なん》となく一寸険悪になる。
其中に女の私もゐる。

凡《おほよ》そ廿分の後《のち》に、
やつと一台の電車が来た。
人々は押合ひながら
乗ることが出来た。
ああ救はれた、
電車は動き出した。

けれど、私の車の中には
鳥打帽をかぶつた、
汚れたビロオド服の大の男が
五人分の席を占めて、
ふんぞり反つて寝てゐる。
この満員の中で
その労働者は傍若無人の態《てい》である。
酔つてゐるのか、
恐らくさうでは無からう。
乗客は其男の前に密集しながら、
誰も喚び起さうとする者はない。
男達は皆其男と大差のない
プロレタリアでありながら、
仕へてゐる主人の真似をして
ブルジヨア風の服装《みなり》をしてゐるために、
其男に気兼し、
其男を怒らせることを恐れてゐる。
電車は走つて行く。
其男は呑気にふんぞり反つて寝てゐる。
乗客は窮屈な中に
忍耐の修行をして立ち、
わざと其男の方を見ない振をしてゐる。
その中に女の私もゐる。

一人で五人分の席を押領する……
人人がこんなに込合つて
息も出来ないほど困つてゐる中で……
あゝ一体、人間相互の生活は
かう云ふ風でよいものか知ら……
私は眉を顰めながら、
反動時代の醜さと怖ろしさを思ひ
我々プロレタリアの階級に
よい指導者の要ることを思つてみた。

併しまた、私は思つた、
なんだ、一人の、酔つぱらつた、
疲れた、行儀のない、
心の荒んだ、
汚れたビロオド服の労働者が
五人分の席に寝そべることなんかは。
昔も、今も、
少数の、狡猾な、遊惰な、
暴力と財力とを持つ人面獣が、
おのおの万人分の席を占めて、
どれ位われわれを飢させ、
病ませ、苦めてゐるか知れない。
電車の中の五人分の席は
吹けば飛ぶ塵ほどの事だ。

かう思つて更に見ると、
大勢の乗客は皆、
自分達と同じ弱者の仲間の
一人の兄弟の不作法を、
反抗的な不作法を、
その傍に立塞がつて
庇護《かば》つてゐるやうに見える。
その中に女の私もゐる。


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。
 ☆ お知らせ ☆

 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
    発売案内『こころうた こころ絵ほん』
 ☆ キズナバコでのネット注文がこちらからできます。
    詩集 こころうた こころ絵ほん
 ☆ Amazonでのネット注文がこちらからできます。
    詩集 こころうた こころ絵ほん
関連記事
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
https://blog.ainoutanoehon.jp/tb.php/467-b77d0a81

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

最新記事