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与謝野晶子の詩歌(十一)。自由詩は詩歌?行分け散文?

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。
 今回は、短歌という短詩形を書き続けた言葉による芸術家としての彼女の横顔を見つめます。

 晶子のさまざまな主題をとりあげた詩をみつめてきて、私は晶子が短歌と詩との形のちがいを意識したうえで、主題にふさわしい詩形で歌っていた、短歌と詩を歌い分けていたと感じます。短歌には歌い込めない雑多な主題、短歌からはこぼれおちてしまう心のありよう、心に映る諸相を、詩の形で歌ったのだと感じます。
 短歌と詩のどちらがいい、どちらが優れていると比較しているのではありません。(短歌だからこそ美しく凝縮された心の結晶のような歌は、最後の回にとりあげるつもりでいます。)

 短歌は三十一文字という厳しい語数制限の枠組みのなかで言葉を選び、言葉の音の流れ、美しい調べを生みだそうとします。その創作に生涯情熱を注ぎ続けた晶子にとって、自由詩は様々な主題、心の表現が可能な器でありながらも、一方で、音数律の制限も音楽性もない、形のうえで行分けしただけの散文にすぎないのではないかという疑念を抱いていました。

 私は晶子が生粋の詩人だからこそ、詩歌を生む人、言葉で歌う人だったからこそ、次の『小鳥の巣(押韻小曲五十九章)』の小序を記せたのだと私は思います。今の日常語に私がしたうえで、その内容について考えてみます。

● 小序。詩を創り終えたときにいつも感じるのは、日本語の詩には押韻の規則が定められている詩形がないので、句の独立性の確実(詩句・詩行を確実な理由があって独立させ改行しているかどうか)について不安です。散文の横書き(西欧詩をまねて散文を横書きして理由もなく適当に改行しただけ)にすぎないという非難は、勝手気ままな自由詩のどの作品にもつきまとうように思います。(詩形に何の規則もないという自由詩の)この欠点を克服するような、押韻の規則をもつ新しい自由詩形(の運動)が生まれてほしというのが、私の長い間の願いでした。私自身でやってみようと折々に試みてみた拙い作品から、以下にその一部だけ抄録します。押韻の技法は唐以前の古い(漢)詩、または欧州の詩を参照し、主として詩句が私の心に生まれ出て自ずから形をなしていくのを創作の基本としたうえで、多少の推敲を加えました。子音も避けずに音韻(の一部と)しているのはフランス近代詩と同じです。詩行ごとに同音で押韻している詩形、また隔たる詩行に同じ詩句を繰り返して押韻している詩形は、古い漢詩にたくさんの例があります。

 晶子は第一歌集『みだれ髪』を、島崎藤村や薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)の大きな影響を、自分で後年模倣というほど強く受けて生みだしました。ですから、藤村の七五調は彼女の心のリズムとなっていたし、泣菫の音数律を七五調から変調する試みの詩も良く知っていたと思います。
 そのうえで、短歌は音数のリズム、音数律で一首が流れ切って美しいけれども、詩行があり詩連がある自由詩はそれだけでは、まとまりのある美しい音楽性に欠けると、感じとっていたように思います。
 ただ散文を適当な長さの個所で行分けして適当なまとまりに分けるのは、歌じゃない、美しい調べが足りない、心たかまる、心をうつ音楽が欠けている、と。
 藤村の詩にも、泣菫の詩にも、各詩行に音数律の調べが、作品の最初から最後まであるけれど、それだけでは、足りない、弱いのではないか、漢詩や西欧近代詩にある押韻規則が生む音楽性のある作品としてのまとまりが、日本の自由詩にはないのではないか?
 押韻すらないのなら、同じ主題を変奏する、短歌の連作のほうが、音楽性のある言葉の芸術として、歌として美しいのではないか?

 私自身がいつも考えている重なり合う問題意識で、晶子の想いを増幅させてしまったかもしれません。日本語で作品を創ろうとする詩人にとって、とても自然で大切な意識だと私は思っています。

 小序に述べられた試みとしての押韻小曲の五十九の作品群については次回詳しくみつめますが、タイトルとされた小曲一篇だけ、小序につづけて引用します。愛らしい歌です。

● 以下は、出典の原文です。
小鳥の巣(押韻小曲五十九章)
                与謝野晶子

小序。詩を作り終りて常に感ずることは、我国の詩に押韻の体なきために、句の独立性の確実に対する不安なり。散文の横書にあらずやと云ふ非難は、放縦なる自由詩の何れにも伴ふが如し。この欠点を救ひて押韻の新体を試みる風の起らんこと、我が年久しき願ひなり。みづから興に触れて折折に試みたる拙きものより、次に其一部を抄せんとす。押韻の法は唐以前の古詩、または欧洲の詩を参照し、主として内心の自律的発展に本づきながら、多少の推敲を加へたり。コンソナンツを避けざるは仏蘭西近代の詩に同じ。毎句に同韻を押し、または隔句に同語を繰返して韻に押すは漢土の古詩に例多し。(一九二八年春)

小鳥の巣(押韻小曲)
           与謝野晶子


高い木末《こずゑ》に葉が落ちて
あらはに見える、小鳥の巣。
鳥は飛び去り、冬が来て、
風が吹きまく砂つぶて。
ひろい野中《のなか》の小鳥の巣。


●出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

次回は、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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