萩原朔太郎の詩論にある刺のような、
「日本詩と日本詩人(草野心平君への書簡)」について考えます。この文章は、明治初頭の象徴派詩人の
蒲原有明についての評論執筆依頼に対して、辞退しその理由を述べたものです。
晩年に近い時期の完全に醒めきった、人間関係への気兼ねもいっさいしない文章です。嘘を言う気はもうなくなった、自分が生きてきた過去さえ、徹底して批判した、目が据わった凄みを感じ、だからこそ現在にも通じる真実が含まれていると、私は考えます。
朔太郎は冒頭、過去に深く有明の芸術の鮮新さとフォルムの独創性に私淑したからそれだけのことなら書ける、と過去の自分を反省したうえで、けれども、有明の芸術が本質的にはわからないから評論執筆を辞退する、有明の「ポエヂイが根拠している人生観や宇宙観の哲学」が不可解であり、「どんな生活意欲によってどんな必然の個性的モチーフで書かれたか」がよくわからないためだと述べます。
朔太郎は続けて、「明治大正期の詩人中で、小生の批評的関心を持つてる人は
与謝野鉄幹と
島崎藤村の二氏だけ」で、日本の所謂「詩人」にはあまり深い評論的興味を持てないと、醒めきった言葉で言い切ります。むしろ「
石川啄木、与謝野晶子、斎藤茂吉、正岡子規等の人々」、「別種の詩人(歌人、俳人)の方に、深い評論的興味と関心を持つ」と、詩歌全体を見たうえでの、偽りない評価を表明します。
朔太郎はなぜそのように感じ、考えるのか、それは、
「なぜならこれらの人々の作品や文学には、ポエヂイの根拠してゐる原理のもの、即ちその
人生観や、自然観や個性の必然的な感性や生活やが、すくなくともモチーフとして鮮明に出て居るから」、詩形の差異が理由ではなく、「啄木や茂吉の歌はすくなくとも
自己の本当の生活」「単なる身辺的日常生活のことではなく、
主観の意欲するモラルの世界、及び
作者の環境する現代日本の社会性」を歌っているからだと、主張します。
私の言葉にすると、朔太郎は詩歌の根本にある次のことを言いたかったのだと考えます。
詩に、書かずにはいられないもの、伝えずにはいられないもの、それがあるかないか。一時的な流行の波が引いた後でも、残りうるのはそれだけだと私は考えます。
私も読者としてそれがない詩は読む気がしないし、読んでも何も心に残らず忘れます。たとえ上手い表現だなと思えたとしても。
読者は欺けないし、欺かれない。書き手の伝えずにいられないものの本当さが、読み手をのみこんでしまうほどの、真実さ、強さ、切実さ、良さをもつまでに高められ、込められているかどうか。
すくなくとも作者以外の人、一人だけであっても他人にも、心から本当にいいと、伝わるものを響かせているかどうか。
朔太郎は容赦なく日本の詩、詩壇の脆弱さを叩きます、自分の過去がそこにあることを承知したうえで徹底的に。
「明治以来の
新体詩や自由詩といふものは、要するに西洋文明の新鮮な香気に酔った、単なる
エキゾチシズムの産物にすぎない」、「
芸術の上のヂレツタンチズム」、 「英吉利や仏蘭西の近代詩を、舶来の香気に酔って伝へるべく、日本語の翻案したもの」に過ぎないと突き放し、その根本は、「作者の詩人その人の、真に訴へてる悩みでもなく、何の主観性のポエヂイもない」、「本質的な詩精神(作者の主観的な生活や哲学)が、作品に表現されないこと」にあると容赦なく指弾します。
明治以降で「真に評論的興味の対象となり得るほど、鮮明な個性を持つてる」詩人は数少なく、「詩のレトリツクやスタイルの上でのみ、形式上の評価を批判する以外、何の興味もない人々」、「キザなダンヂイ」ばかりだと突き放します。
とても厳しい言葉です。朔太郎は自分も含めて、見ぬふりはするなと突き放すようです。
「今日我が国の大衆が、啄木等の歌を好んで読むにもかかはらず、小生等の「新しい詩」が、昔から民衆と没交渉に、白眼視されている」、「詩人はその誤った高級意識の自負心を捨て、今一度この事実を、自らよく考える必要がある。」
出典は、
『萩原朔太郎全集 第6巻』(筑摩書房、1975年)。旧字体は新字体に変えました。
初出は、『歴程』(1939年7月号)。
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