詩人の
尼崎安四と俳人の
山田句塔を中心にエッセイを記してきました。
そのまとめとしての二回は、
尼崎安四の詩についての考え、詩と向き合う姿を見つめながら、私の詩想を書き添えていきます。
まず今回は、尼崎安四の詩についての考えが鮮やかに要約されている、彼が山田句塔へ宛てた手紙を引用したうえで、私の詩についての詩想を記します。出典は、細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号です。
● 以下、引用「(前略)・・・・・・私は『写生的なもの』には感動できないのです。感覚を表面的に刺激させられて、刺激したものを素朴に写生するのは芸術ではないとは言えないかも知れないが、第一級の芸術でないことはたしかだろうと思います。第一級の芸術は外物の反射ではありますまい。暗い虚無の如き魂の深淵から流れ出てくる『歌』或いは諧調のある『叫び』だと考えます。そして、この内部からの歌が、象徴となり、形をもつ時、音楽となり、詩となるのではないでしょうか。音と意味との響き合い、思想の連続、文字の形態、印象の織りなす美感、こうした外観を支える内側の『歌』が、『写生的なもの』には感じ難いのです。私の言い方が拙いので判りにくいでしょうが、どうかリルケの『ドゥイノの悲歌』や、芭蕉の句を読んで私の意のある所をご賢察下さい。・・・・・・(後略)」。(引用終わり)●
手紙での短い文章ですが、
詩とは何か、言い尽くして、私は深い共感を覚えます。その要点について、順に記してみます。
1
感動、第一級の芸術 彼にとって、詩は感動できるもの、そして第一級の芸術、だったことがわかります。感動できないものは、第一級の芸術ではない。このことに私は彼が詩を深く愛していたこと、そして第一級の芸術を創作することへの意思と誇りを感じます。私にとっても、詩は感動であり、芸術です。
2
歌、諧調のある叫び 彼にとって、詩は暗い虚無の如き魂の深淵から流れ出てくる『歌』或いは諧調のある『叫び』、内部からの歌でした。魂から流れ出てくる歌、詩の本質だと私は思います。叫びであっても詩として高められた表現には、諧調、調べが必ずあります。言葉の歌です。
戦後以降のいわゆる“現代詩”は、このいちばん大切なことを傲慢に否定し疎かにしてきたので、干からびました。詩を愛する多くの方々の素直な心が、近代詩、与謝野晶子、金子みすゞ、宮澤賢治、中原中也、萩原朔太郎、高村光太郎、八木重吉、彼らの詩にいまも感動しながら、“現代詩”には感じとれません。書き手が詩の本質、心、感動から作品を生み出さず、生み出せずに、驕っているからです。そのような“現代詩”には私は魅力も良さも感じません。
3
感覚と感動 この本質を浮き立たせるために対比する例として彼は、『写生的なもの』、感覚の表面的な刺激を素朴に写生すること、外物の反射、をあげ、第一級の芸術ではないといいます。なぜか? 私は次のように思っています。
感じとることは詩の入り口ですが、表面的な刺激を感覚で感じるのは、人間以外の他の動物もしていることです。その感覚が強いものであり人間だけがもつ魂、内面世界の深みまで達し、魂の海を波立たせ揺り動かし、作者個人の表現せずにはいられない想い、歌、叫びとして、あふれ出るとき、その表現こそまさに、感動です。
感覚の繊細さと、感受性の豊かさは、外界との接触点、個性への入り口です。受けとめたものを、魂、内面で浄化し高めた表現とすることが、創作活動、第一級の芸術、感動は他の人間の魂の海に、感動の波立ちを引き起こします。
4
内部からの歌をつつむもの 内部からの歌、諧調のある叫びを、息づかせる外観、詩となるための形として、尼崎安四は次のものをあげています。
象徴性。音と意味との響き合い。思想の連続。文字の形態。印象の織りなす美感。これらは第一級の芸術としての詩であるために必要な要素を網羅していますが、私は次の点を強調したいと思います。
まず、音と意味の響き合い。言葉の音と意味を大切に響きあう詩句を選び取ること、
言葉の音、調べには、音色、リズム、強弱、緩急、押韻があります。散文と詩をわかつのはこの音楽性です。
言葉の意味を捨てないこと。人間の言葉だけがもつこの一番の本質的な要素を“現代詩”は軽んじ、疎かにしました。このことが詩をとても貧しくしています。音楽にとっての音、絵画にとっての色、文学にとっての言葉の意味。意味の非連続な組み立ての言葉遊びを創作と勘違いしてもてはやす流行が続きましたが、コンピュータにさせることができる並べ替え作業にすぎません。
言葉の音と意味の響き合いで、美感を織りなすことが、人間だからこそできる、芸術の創作です。
これ以外の、象徴性、思想の連続、文字の形態、印象の織りなす美感、も大切です。これらすべての言語にできる表現要素を、最大限に生かすことで、内部からの歌を高めて芸術作品とするのが、詩の創作です。
尼崎安四のこの手紙の言葉には、詩を深く愛する人間が、謙虚に、詩を見つめていて、私は心打たれます。詩が好きだという想いが強められ、嬉しく感じます。
■ 出典:細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号。 次回は、尼崎安四がどのように詩を創作したか見つめ考えます。
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