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オウィディウス『変身物語』(二)。愛の悲しみのエコー

 ローマの詩人オウィディウス(紀元前43年~紀元17か18年)の『変身物語』に私は二十代の頃とても感動し、好きになりました。
 「変身」というモチーフで貫かれた、ギリシア・ローマ神話の集大成、神話の星たちが織りなす天の川のようです。
 輝いている美しい星、わたしの好きな神話を見つめ、わたしの詩想を記していきます。

 今回はナルキッソスとエコーの切ない瞬きです。
 ナルキッソス、ギリシア読みではナルシス、自己愛の象徴、泉に映る自分の姿に恋焦がれて死んでしまい、そのまま水仙に生まれ変わった少年のお話で、とても良く知られたギリシア神話です。

 オウィディウスは『変身物語』で悲しく切ない恋の物語として奏でました。
 『変身物語』の星たちのうち、私がこの星をずっといちばんお気に入りだったのは、ナルキッソスの自己愛と水仙への変容に惹かれたというより、木魂になってしまったニンフのエコーの切なく悲しい恋が歌われているからだと気づきました。

 二人の出会いの箇所で、ナルキッソスの「ここで会おうよ」という言葉にエコーは「会おうよ」と答えます。抱きつかれて逃げ出したナルキッソスの「いっそ死んでから、きみの自由にされたいよ!」という言葉に、「きみの自由にされたいよ!」と木魂を返します。
 この感情の揺れ動きの表現は、とてもみごとで、オウィディウスの抒情詩人、愛の詩人としての天性を感じます。

 ナルキッソスに求愛を拒まれ失恋したエコーは、悲しみのあまり肉体を失い、声だけに、声のひびきだけに変身してしまいます。
 
 私自身に、肉体を失くして歌になりたい想いがあるので共鳴したのだ、いまも共鳴するのだと感じます。
 私が詩やエッセイに、「こだま」「木魂」「ひびき」を頻出させてしまうのもその想いがあふれだすためです。
 声、歌、響きの美しさが私はとても好きで、惹かれてしまいます。

 二人の別れの時間、泉に映る己の姿に恋焦がれてやせ細り死にゆこうとするナルキッソスを、見守るエコーの悲しみは、愛する者の想いそのもので心打たれます。

 「ああ!」と嘆きに木魂し、「さようなら!」と最期の木魂を彼女は返しました。

 心に切なく、痛く、響く、悲しいけれど美しい切ない愛の物語です。

● 以下、出典の引用です。

 たまたま、親しい仲間たちからはぐれた少年が、こうたずねかけた。「誰かいないのかい、この近くに?」すると、「この近くに」とエコーが答えた。ナルキッソスは驚いて、四方を見回すと、大きな声で「こちらへ来るんだよ!」と叫ぶ。エコーも同じように、そう呼んでいる彼を呼ぶ。彼はふり返るが、誰も来ないので、ふたたび叫ぶ。「どうしてぼくから逃げるのだい?」すると、彼のいっただけの言葉が、返って来る。その場に立ちつくし、こちらに答えているらしい声にあざむかれて、いう。「ここで会おうよ」すると、これ以上に嬉しい答えを返せる言葉があるはずもないエコーは、「会おうよ」と答える。そして、われとわが言葉にぼーとなり、森から出て来て、あこがれの頸に腕を巻きつけようとする。
 彼は逃げ出した。逃げながら、「手を放すのだ! 抱きつくのはごめんだ!」と叫ぶ。「いっそ死んでから、きみの自由にされたいよ!」彼女が返すのは、ただこれだけだ。「きみの自由にされたいよ!」
 はねつけられた彼女は、森にひそみ、恥ずかしい顔を木の葉で隠し、それ以来、さみしい洞窟に暮らしている。だが、それでも恋心は消えず、しりぞけられただけに、悲しみはつのる。夜も眠られぬ悩みに、みじめな肉体はやせほそり、皮膚には皺が寄って、からだの水分は、すっかり枯渇する。残っているのは、声と、骨だけだ。いや、声だけで、骨は石になったという。以来、森に隠れていて、山にはその姿が見られない。ただ、声だけがみんなの耳にとどいている。彼女のなかで生き残っているのは、声のひびきだけなのだ。

(略)

 もう、赤みをまじえた白い肌の色もなく、元気も、力も、これまでは魅力だった外見も、消えた。かつてエコーに愛された肉体も、あとをとどめてはいない。
 エコーは、しかし、このありさまを見たとき、怒りも記憶も消えてはいなかったにもかかわらず、それでも、大そう悲しんだ。哀れな少年が「ああ!」と嘆くたびに、彼女は、こだま返しに「ああ!」とくり返した。彼が手でみずからの腕を打ちたたくと、彼女も、同じ嘆きの響きを返した。なつかしい泉をのぞきこんでいるナルキッソスの最後の言葉はこうだった。「ああ、むなしい恋の相手だった少年よ!」すると、同じだけの言葉が、そこから返って来た。「さようなら!」というと、「さようなら!」とエコーも答えた。彼は、青草のうえにぐったりと頭を垂れた。

● 引用終わり。

 今回の最後に、エコーの悲しみに木魂する私の詩を響かせます。お読み頂けると嬉しいです。

  「こだまのこだま」(高畑耕治HP『愛のうたの絵ほん』から)

  イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)
   こだまのこだま 動画  

 次回も、この天の川に輝く、わたしの好きな神話の美しい星を見つめます。

 出典:『変身物語』オウィディウス、中村善也訳、岩波文庫


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絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画  

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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