準備の時間が必要なエッセイにこだわり公開してきましたが、ツイッターからあふれだしそうな詩想は
「想うまま」ここに短く書き流していこうと思います。
思い浮んだ波のように、風のように、
突発、不定期の、初回です。
詩と小説。波と涙。
波は、浮び、沈む。なだらかに。底から波頭までの曲線のなだらかな中間も、書き記すのが小説。関心を失わず描写できるのが小説家。
波は、浮び、沈む。なだらかに。でも底のよどみ濁りと、波頭の飛沫だけを、みつめ感じてしまうのが詩。それだけを見つめずにいられないのが詩人。
それは資質。そのように生きる生き物に生まれたという。
小説は、初恋から死の別離までの、愛し憎み倦怠し憎悪し別れよりをもどす、男女の一生の長い起伏に、持続するしぶとくねちっこく深い執着。
詩にとって、なだらかな中間部、無感動は、雑音、苦痛。波の底と波頭を、ぶつ切りにする、できたらいらない時間。
波底の絶望の涙、波頭の瞬間の涙の輝きが詩。感動。愛が凝縮する瞬間。悲しみと、切なさと、愛おしさの、沈みと高まりの極限。
生活は、とてもとても、なだらかな曲線。直線と見まごうほどの。
だから、詩を、芸術を、感動を、恋と愛に、死んでしまうように生きたい、詩人、詩ごころ抱く人は、生き難い。
ほとんど、無感動な、平板な、時間。
けれど、それでも、ぶつ切りにされても、
見つめあった人への切なさを、失恋の悲しみを、引き裂かれた絶望を、結ばれた人への愛おしさを、愛さずにはいられない運命の人へ愛(かな)しみを、それだけが大切さと感じてしまう、さが。
悲しみの涙、愛しあえた涙にこそ、人の美は宿ると、感じてしまう、愚かな、生きづらい、
優しさと美しさという、なにより、弱いからこそ、心に光りつづける、詩、
詩を愛するひとが、わたしは、好き。
初回のエッセイは、1月11日からルソーの『エミール』、そのあと老子を続けていこうと準備しています。「想うまま」は、波と風にならい、詩人なら、気まぐれに。
(創作は、ぶつ切りの生活時間のなか、それでも生みだしたいと、いつものように苦しみながら。私は詩人だから詩作品こそ愛していると)。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。
(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
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Amazonでのネット注文がこちらからできます。
詩集 こころうた こころ絵ほん イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画
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