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赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(三)全身的な感性を視覚に

 敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。
今回も前回に続き、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。
                                          
◎以下、出典からの引用のまとまりごとに続けて、☆記号の後に私が呼び起こされた詩想を記していきます。和歌の後にある作品番号は『式子内親王全歌集』(錦仁編、1982年、桜楓社)のものです。
(和歌の現代仮名遣いでの読みを私が<>で加え、読みやすくするため改行を増やしています)。

◎出典からの引用1
 二
   見るままに冬は来にけり鴨のゐる入江の汀うすごほりつつ  259
  <みるままに ふゆはきにけり かものいる いりえのなぎさ うすごおりつつ>

 これも「いま桜咲きぬと見えて」と同じ正治百首中の一首であるが、「見るままに冬は来にけり」という冬の到来を告げる上二句の表現にスピード感があり、「鴨のゐる入江の汀うすごほりつつ」という自然現象の変化を表わす下句は、冬の到来の具象化となっている。ここでも作者の目は高速度撮影のレンズのように対象の動きと変化を適確に捉えている。「見るままに」は、「見ているうちに」という主体の行為の継続を表わすと同時に、対象が「見る見る」変化する速度感覚も表わしている。末句の「うすごほりつつ」はそれを受けて見るまに薄氷が張ってゆく情景である。(略)

 この歌について諸注が参考歌としてあげているのが、『源氏物語』若菜上の「身にちかく秋やきぬらんみるままに青葉の山もうつろひにけり」である。これは紫上が女三宮の降嫁によってわが身の秋を感ずるという不安を詠じたものである。式子内親王の歌はこれに比較しても、視覚に即した時間意識になっている。存在の根底から影響を受けずにはおれない冷たく閉ざされた冬の到来を「入江の汀うすごほりつつ」とつき離したように表現している。対象との間に一定の距離を保っている。しかし、入江の汀に薄氷が張る現象を伴って、眺める存在としてのかの女の世界へ冬は否応なしに押寄せ、侵入して来る。(略)
 時間的な視覚が「見るままに」であり、(略)式子のものには全身的な感性を視覚に凝集したような緊張感と集中力を読み取ることができる。(出典引用1終わり)

☆視覚に即した時間意識
 赤羽淑はここで、歌う作者の「視覚」「まなざし」の動きを捉えることで、式子内親王の「時間意識」を探り、捉えています。私も式子内親王の「全身的な感性を視覚に凝集したような緊張感と集中力を読み取ることができる。」、その通りだと感じます。
「自然現象の変化を表わす下句は、冬の到来の具象化」ですが、この歌が叙景歌にとどまらずに、冬の心象風景にまで高められて感じられるのは、「対象との間に一定の距離を保っている」ことで、「冬の到来を告げる上二句の表現」へと逆流、遡行するような、冬の張り詰めた空気のような、緊張感に包まれるからだと感じます。

◎出典からの引用2
 「見るままに」と同じようなスピード感のある表現に、「ながむるままに」と「みるほどもなく」があげられる。
   久かたの空行く月に雲消えてながむるままにつもるしらゆき  150
  <ひさかたの そらゆくつきに くもきえて ながむるままに つもるしらゆき>

   夏の夜はやがてかたぶく三日月のみるほどもなくあくる山の端  30
  <なつのよは やがてかたぶく みかづきの みるほどもなく あくるやまのは>

 二首ともに、音韻の上からも速いテンポをもって、どんどん積る白雪やあっという間に明ける夏の夜を視覚によって捉えている。「夏の夜はやがてかたぶく」の「やがて」は、ある状態がそのままでつぎの状態に移ることで、時間的な移行が圧縮されて、瞬間からほとんど同時を表わすようになる。

   郭公なきつる雲をかたみにてやがてながむる有明のそら  224(玉葉・夏 三三二)
  <ほととぎす なきつるくもを かたみにて やがてながむる ありあけのそら>

郭公が鳴いた雲を見上げたが郭公はたちまち鳴き過ぎてそのまま有明の月を眺めたというのである。
(出典引用2終わり)

☆スピード感のある表現
 赤羽淑は「スピード感のある表現」を、「ながむるままに」と「みるほどもなく」と「やがて」の詩句を通して感じとっています。三十一文字の和歌、そのほかの短詩形文学は、短ければ短いほど、詩句の重みがまします。
 詩句が詩そのものとなってゆきます。散文の冗長性、言い換えの可能性の広さとは正反対です。
 優れた短詩形の詩歌は、詩句ひとつを選び取ることに「全身的な感性を凝集」させ「緊張感と集中力」で向きあうことから初めて生まれてくるのだと私は思います。

出典:赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」『古典研究10』1983年。

 次回も、赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた詩想です。


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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