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赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」(七)生きられる時間を「今」の瞬間に

 敬愛する歌人、式子内親王(しょくしないしんのう)の詩魂を、赤羽 淑(あかばね しゅく)ノートルダム清心女子大学名誉教授の二つの論文「式子内親王における詩的空間」と「式子内親王の歌における時間の表現」を通して、感じとっています。

今回も前回に続き、論文「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた私の詩想を記します。
                                          
◎以下、出典からの引用のまとまりごとに続けて、☆記号の後に私が呼び起こされた詩想を記していきます。
 和歌の後にある作品番号は『式子内親王全歌集』(錦仁編、1982年、桜楓社)のものです。
(和歌の現代仮名遣いでの読みを私が<>で加え、読みやすくするため改行を増やしています)。

◎出典からの引用1
 六
 年ごとに秋は廻ってくるが、その秋は昔の秋ではない。自分が変ったのだろうか。このような反問は、秋の来るたびにくりかえされたであろう。つぎの三首は、『三百六十番歌合』のもので、作者が四六歳から四八歳ごろに作られたと推定されている。

   ながらへばいかがはすべき秋をへて哀れをそふる月の影かな  403
  <ながらえば いかがはすべき あきをへて あわれをそうる つきのかげかな>

   ながめても思へばかなし秋の月いづれの年の夜半までかみん  404
  <ながめても おもえばかなし あきのつき いずれのとしの よわまでかみん>

   常よりもせめて心のくだくるはわれやは変る秋やことなる  405
  <つめよりも せめてこころの くだくるは われやはかわる あきやことなる>

 長生きすれば秋ごとの月がますます哀れを添えてゆく。このような体験はいつまで続くのだろう。たぶん死によって終りを遂げる日まで眺めることは止めないだろう。ここで取上げられる現在は、過去の思い出によって想いの深まるような現在である。(出典引用1終わり)

☆月がますます哀れを添えて
 式子内親王が四六歳から四八歳ごろに詠んだ、秋、月を主題とした美しい三首。私もその年齢を過ぎた今、その歌にも深く共感する想いを抱かずにいられません。
 赤羽淑が言葉にして教えてくれるように、私もまた生きてきたことで知ることができました。「秋ごとの月がますます哀れを添えてゆく」ということ、「たぶん死によって終りを遂げる日まで眺めることは止めないだろう。」ということ、「過去の思い出によって想いの深まるような現在」があるということ。

 「あはれ」を感じ、「かなし」と感じ、「心のくだくる」想いに生まれでる歌が、詩歌であること、文学であることを、この三首は、ゆりうごされる心に自然に響きだす共感をとおして、感じとらせてくれます。

これらの歌と言葉に、与えられた命の時間を、捨てずに、生きてゆくことで、感じとれるようになる想い、深まる感情は、たしかにあると、私はあらためて教えられ、謙虚な気持ちになることができます。

◎出典からの引用2
定家の歌にも、

   なにとなくすぎこし秋のかずごとにのちみる月のあはれとぞなる  (花月百首 六六一)
  <なにとなく すぎこしあきの あずごとに のちみるつきの あわれとぞなる>

という歌があって、過去が現在に滲透しながら深まってゆく円環的時間意識を詠んだものである。定家の歌はやや観念的であって、現在の視点も曖昧である。

 それに対して式子内親王の歌には、現実の体験的時間を起点にして、生きることができる時間にまで押し広げてみようとするのである。逆な言い方をすれば、生きられる時間を「今」の瞬間に凝集して直観しているのである。(出典引用2終わり)

☆生きることができる時間にまで
 赤羽淑は、藤原定家の全歌集も編んでいる、彼と彼の歌を深く知る人です。『定家の歌一首』というとても美しい本を書かれています。(次のリンクしたエッセイに書いています)。

   藤原定家の象徴詩

その本を通して知った彼の次の一首が私はとても好きです。

    秋の月なかばのそらのなかばにてひかりのうへにひかりそひけり

 ここに引用されている藤原定家の「なにとなく」の歌は、赤羽淑が言うように、私も観念が勝っている(理屈になっている)と感じます。

 対比されている式子内親王の歌、なかでも、「ながめても思へばかなし秋の月いづれの年の夜半までかみん」は、彼女の絶唱だと感じ、私はとても好きです。

 赤羽淑が教えてくれるようにこの歌は、「現実の体験的時間を起点にして、生きることができる時間にまで押し広げてみようと」しています。
「生きられる時間を「今」の瞬間に凝集して直観している」、まさにその通り、死を意識することで、「今」ある生、生きている今の瞬間を、夕陽の逆光を浴びるように、逆照射のなかで、燃やしています。

しずかな、月のひかり、死ぬときまでに会うことのできる月のひかりまで、重ねて、今あるこの歌に、輝かせ響かせています。
美しく愛(かな)しく心に響きつづけてくれる歌です。
 
出典:赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」『古典研究10』1983年。

 次回も、赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた詩想です。

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 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同上
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同上
「愛(かな)」1993年同上
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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