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田川紀久雄詩集『遠ざかる風景』(五)他者の痛みを忘れて

 詩人・田川紀久雄が今年2月20日に上梓した詩集『遠ざかる風景』から、私の心にとくに響いた詩作品、詩句をとりあげ、呼び覚まされた私の詩想を記しています。主題ごとに、全5回です。

 最終回の今回に感じとる作品は、詩「黙っていることによって(抄)」と詩「足音が聴こえてきませんか(抄)」です。詩集からの引用を感じとりながらその前後に、☆印をつけ私の詩想を織り込んでいきます。

☆ 今回の2篇の主題は、現在の社会状況、世相です。同時にそれは、歴史認識のあり方にも繋がります。田川紀久雄の詩を読んだうえで、私が感じ想うことを記します。


 黙っていることによって
田川紀久雄

(略)

大陸からの引き上げの苦労話を聴くが
大陸で何をしてきたかは口をつむぐ
自分たちの苦労より
日本人によって苦しめられた人たちがいたことを
大陸での残虐な行為の記憶は
死ぬまで消え去ることがない

個人はみんないい人だ
なんて言われても
そう簡単には信じられない

つねに普段から権力と闘っていないと
自分だけが被害者面(づら)をしてしまう
人間というのものは哀しい生き物だ
他者の痛みを忘れてしまう
加害者は自分であることを忘れて・・・・・・
           (二〇一三年三月十九日)

☆ 田川紀久雄は真っ正直な人間なので詩の言葉も、とてもまっすぐです。言わずにはいられない、書かずにはいられない思い、考えを書き、伝えようとします。
 現在の社会風潮、世相は、民意、投票者の考え方の多様性を上手く掬い上げることができない選挙制度の歪みのままに少数の為政者が、少数の好み、偏狭な歴史観を、恐ろしいほど独断的に、あたかも国民の総意であるかのように、ごまかし、押しつけようとしています。多くの主権者の意思を、無視して、声を聞き流して。

 近隣の国に生きる人たちと、対話すら行えなくして、敵対し、好戦的態度で誇らしげに威嚇する者は、知性ある人間の品位を貶める者でしかありません。愚かで、情けなく、獣レベルです。

 1920年代の終わりから1945年8月15日の無条件降伏、敗戦日まで、日本の軍隊は、朝鮮半島、満州、東南アジア、南太平洋の島々を、武力軍隊で制圧し、戦闘を引き起こし、侵略し、多くの人間を、老若男女、幼児、赤子までも殺害し、女性を辱め、強制連行をし、強制労働をさせ、生活を壊し、願いを壊しました。まともな人間なら、まず恥じるべきことです。被害者の声に耳を傾け、加害者であったことについて詫びること、大切な人を奪われ殺害された人、強制命令、連行で、意思と生活の自由を奪われ壊された人が、心情的に加害者を決して許すことができなくても、謝るのが、まともな人間だと、私は思います。

 開き直り、加害者であったことを虚偽であるかのようにごまかし、嫌い、威嚇までしている今の為政者と取り巻きに、私は人間性を感じることができません。
 絶対的な正しさなどないのに、あるかのように偽り、ルールを曲げやぶり押し付け、他の考えを排斥することほど、民主的な社会に有害なことはありません。

 私は、芸術、美しいもの、優しいもの、自発的であり自由であろうとするもの、が好きです。人間性が昇華した結晶だからです。金と力を奪うこと、欲望を満たすために命令と従属を好む集団で行政を排他的に歪ませることに血眼な政治屋、為政者を、厭います。
 「黙っていることによって」、この社会は再び、獣の目で監視しあう悲惨でおぞましい奴隷社会に陥りそうな危うさにあります。そのなかで一市民、生活者としての、意思を示すことが必要だと考えています。


 足音が聴こえてきませんか
田川紀久雄


戦争の足音が微かに聴こえてくる
その顔は平和を装ってやってくる

戦争はいつも国会議事堂の入口に黙って佇んでいる
狼少年のように
敵が攻めてくるぞと
国民を守れと

戦争をして得をするのは誰だ
誰も得をするものなぞいない
それなのに
いつも世も戦争をしたがる奴がいる

人のいのちは一銭五厘の値打ちしかないのか
赤紙一枚の葉書で
多くの国民のいのちが奪われていった
これもお国のためです

銃を担がされて
他国の人民を苦しめて
何がお国の為になったのか
内地では空襲に襲われているのに
勝マデハ負ケラレマセン

死ぬのは嫌です
人を殺すのはなお嫌なことです
(略)

ある詩人が東京空襲の光景を見て
美しいでしたね
といった話を聞いた
そこに必死になって逃げ惑っている人たちがいたことを
一瞬でも考えなかったのか
泣き叫ぶ子供達
爆弾で吹き飛んだ亡骸
そこはまさに地獄そのもの

それでも軍は敗戦を拒み続けた
ヒロシマ
ナガサキ
原爆投下

戦争で何を日本は得たのだろう
いやそれ以上に侵略した国民の苦しみを考えるだけでも

平和ボケにでもなったのか
戦争を知らない世代の国会議員が
まるでマンガを見るかのように
このままの日本で良いのだろうかと
憲法改正を目指している

戦争の足音が微かに聴こえてくる
その顔は平和を装ってやってくる
             (二〇一三年四月二十一日)

☆ 田川紀久雄がここに記した「死ぬのは嫌です / 人を殺すのはなお嫌なことです」、この言葉を私も言い続けたいと思います。
 私の祖父も「赤紙一枚」で召集され、お国のために、殺されました。
 戦前の大日本帝国憲法は有権者を資産家に狭く限定し、女性は参政権すら与えられていませんでした。今ある憲法が、ひとりひとりの人権をなによりもまず守ってきたことを忘れてはいけません。

 お国のために、死んだ若者を、美化する小説、映画がはやりましたが、私はそこに、感受性の枯渇を感じてしまいます。殺された事実をごまかしていること、そして戦わされた相手、人間がいて、相手も傷つき苦しみ痛みの中で殺されていること。こちらだけではなく、ともに生きる者がいることに、気付けるのが、人間ではないでしょうか。

 爆撃も同じです。どちらが、どちらに対して行った場合にも、
「そこに必死になって逃げ惑っている人たちがいたことを / 一瞬でも考えなかったのか」
 考えずに命じるのが政治屋、考えるのを禁じられ無理強いされるのが軍隊、考えるのが人間だと私は思います。

 5回に分けて読み感じとり、書いてきたとおり、田川紀久雄詩集『遠ざかる風景』は、人間らしく生きたいと
いう願いのままの言葉の結晶であることで、人間の心、人間であることを、人間らしくあれる社会を、問いかけ、追い求めてやみません。人間らしく愚直にまっすぐいのちをみつめ生きようとする、そうせずにはいられない、真率な願いの強さこそが、この詩集のなによりの輝きだと、私は思います。

◎出典:田川紀久雄詩集『遠ざかる風景』(2014年2月20日発行、漉林書房)

 次回からは、赤羽淑「式子内親王の歌における時間の表現」に呼び覚まされた詩想を綴ってゆきます。

 ☆ お知らせ ☆

 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。
(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
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    詩集 こころうた こころ絵ほん

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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