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詩想(二九) 詩と文学19

 私の折々の想いをツイッターにしたためた言葉から、似通う色合いのものを、詩想としてまとめています。

 今回は「詩と文学19」私の率直な想いです。

  ☆

素直に。
時間とエネルギーを注ぎこむエッセイを書く余裕なく本読めず生活に追われ。
けれど、わたしは詩人。
詩人はこころの野原。
うたの花の種、芽吹き、咲き、風にほほえむ、お花畑になれたなら、
それでいい。
きっと、こころの野の花、愛するひと、
きてくれる。

 ☆

うたのお花畑の、
みちくさ、よりみち、ないしょの時間に、
どんなものより自分のこころ、
かけがえない花だと、
こころの風に水面に、ともにゆれてくださったなら。
ねがいのお花畑、ひろげてゆく。

 ☆

わたしは権威が好きではないので、著名な詩団体も、著名な詩誌も、もうあまり興味がありません。
ウェブや、同人誌や、個人のノートに、詩を書きつけている、若い詩の魂に、惹かれます。
権威などに盲従するな。新しい芸術が芽吹くのは、そこからだけ。自戒。

 ☆

西行の『山家集』、青春期から読んでは心から好きではなく嫌いとも言い切れず。出家しても俗世を捨てきれない未練がましさが嫌。人への愛の歌少なく人らしくない。
でも放浪、旅する魂、美が好きで求めずにいられない心は好き。
愛憎いりまじりつつ、こころ、感性が、近親憎悪しているのだと感じます。

 ☆

西行好きと言い切れないのは、わたしも俗世捨てたいけど、でも、愛するひとにこころ痛める、和泉式部や、紫式部、式子内親王のうたのほうが、人間らしくて、嘘がなくて、こころに響き、ずっと好きだから。たぶん、ドストエフスキーも、同じこと言う気がする。
文学は愛、愛への渇望。

 ☆

ナルシストは醜く美しく。生き物はナルシスト、でなければ生きられない。自分のいのち、何よりも大切に守るのは生物であるままの自然なこと。ありのまま、自然の懸命さは美しい。誰にも何も言わせない。
醜さに反転するのは、世界は自分のためだけにあるとしか思えない感受性涸れた、貧しいナルシスト。



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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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