『古今和歌集』の巻第十一から巻第十五には、
恋歌が一から五にわけて編まれています。五回に分けてそのなかから、私が好きな歌を選び、いいなと感じるままに詩想を記しています。
平安時代の歌論書についてのエッセイをいま並行して書いていますが、優れた歌論書、歌人に必ず感じるのは、多くの彼自身が好きな良いと感じた歌をいとおしむように、伝えようとする熱情です。
なぜなら、好きな歌を伝えることは、彼自身の心の感動を響かせることでもあるからです。詩歌を愛する者にとって、それ以上の歓びはないように私は思います。
今回は二回目です。一首ごとに、出典からの和歌と<カッコ>内の現代語訳の引用に続けて、☆印の後に私の詩想を記していきます。
よみ人知らず、の歌が多くなったのは、好きな歌を選んだ結果で、意識的にではありません。心に響く歌を作者の著名度にとらわれずに選びました。
恋歌一 (続き)
542 よみ人知らず
春立てば消ゆる氷の残りなく君が心は我に解けなむ<春になると解ける氷のように、あなたの心は私にあます所なくうち解けてほしい。>
☆ 透明感がとても美しい歌。春に解ける氷のイメージがそのまま恋の想い、願いに沁み込み重なっています。まっすぐな想いの歌の良さを教えてくれるように私は感じます。
546 よみ人知らず
いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり<いつといって恋しくない時はないけれども、秋の夕暮は不思議に人恋しさがつのることだよ。>
☆ このうたも真情、あるのままの想いがあふれこぼれおちたような歌です。前半は心のすがたそのままを平常な心で述べていますが、後半部で歌に高まっているのは、そこで「あやしかりけり」という詩句に、想いの強さが凝縮して、心苦しさにまでなっているからです。詩歌は平常心の説明、叙述ではなく、心の高まり、感動だと、この歌にも感じます。
恋歌二
552 題知らず 小野小町
思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを<しきりに恋い慕って寝たから、あの人が夢に見えたのだろう。夢とわかっていたならば、目が覚めないでいればよかったのに。>
☆ 私が『古今和歌集』の歌人のうち、「よみ人知らず」はのぞく個人でいちばん好きなのは、小野小町です。私の心の好みで、歌の良し悪し、歌人の優劣ではありません。
小野小町の歌には、想い、情の、強さと深さが感じられて私の心に響きます。この歌の恋ごころの悲しみにも、おそらく自らの経験に根ざすようにおもえる真率な情感があって、美しい抒情をたたえています。
553 小野小町
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき<仮寝の夢に恋しいあの人を見てから、はかない夢というものをあらためて頼りに思い始めるようになった。>
☆夢を頼みにし始めたという、はかない言葉にながれたどりつく歌全体に、恋に想いを染める女性の「あわれ」をただよわせています。一首全体、歌の姿そのものに、「あわれ」の情感を感じるのは、「頼みそめてき」という詩句に、肉声が聞こえてくるような情感がこもって感じられるからだと思います。
557 返し 小野小町
おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我はせきあへずたぎつ瀬なれば<心のこもっていないいいかげんな涙が、袖に玉となっているのです。私は涙をせきとめることができません、激しく逆まく早瀬のように流れていますので。>
☆ この返しの歌は、小野小町の違った表情をみせてくれます。「我はせきあへずたぎつ瀬なれば」、言葉の意味、イメージそのものとなって、強い意思をみなぎらせています。「おろかなる」涙、涙を「おろかに」あつかう人、投げかけを、許さず、拒み、突き返す、この歌にあらわれた静かな女性の意思に、私は魅力を感じ共感します。
602 忠岑
月影に我が身をかふるものならばつれなき人もあはれとや見む<月の光に私の身を変えることができたならば、つれないあの人もしみじみと感じ入って眺めてくれるだろうか。>
☆ 創作、虚構の歌とわかりながらも、人の心の真実をとらえて、歌は共感を呼び覚ますことができると、感じる歌です。「月影」と「つれなき」それぞれの「つ」、「き」、また、「我が身」と「見む」の「み」の音に隠れた響きあいを感じます。月の光のイメージが歌全体を照らしていて心を澄ませてくれる歌です。
恋歌三
619 題知らず よみ人知らず
寄る辺なみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき<あなたに近づく手づるがないので、身体こそ遠く隔たってはいるが、心はあなたの影となって早くから近くに寄り添っていたことだ。>
☆ 恋歌、恋い慕う、恋い焦がれる、うったえかける歌。恋文のような、熱さと、せつなさが、心に響きます。「心は君が影となりにき」、人を愛する想いの響く、とても美しい詩句です。
621 よみ人知らず
逢はぬ夜の降る白雪と積もりなば我さへともに消(け)ぬべきものを<逢えない夜が降る白雪のように積もり重なったならば、雪と一緒にこの私までが命絶えて消えてしまうに違いないよ。>
☆ 夜にふりつもる雪のイメージが美しくひろがり、寒さ、淋しさの情感の世界をかもしだしています。悲しくて、雪と一緒に消えてしまいそう、この想いは、恋の喜びと悲しみを知るひとのこころを、静かに共感でふるわせてくれます。
出典:『古今和歌集』(小野谷照彦訳注、2010年、ちくま学芸文庫)
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