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ケプラーの詩心(一)天体の音楽と祈り

 詩についてのこのエッセイで、どうしてケプラー?と思われる方にも、彼の天文学に詩心が息づいていること、彼の著述には祈りの調べがあることを伝えられたらと思います。
 ヨハネス・ケプラーは天文学の開拓者として三つの法則に名が添えられ、彼の法則の暗記とともに通り去られがちです。
 第一、第二法則は『新しい天文学』(1609年)に、第三法則は『世界の調和』(1619年)という豊かな著作で述べられていますが、科学は原典から抽出した法則の普遍性と妥当性をのみ興味の対象とするので、そこにくっついた余分な人間臭は忘れ去られがちです。彼はガリレオ・ガリレイと同時代に生き、やりとりもありましたが、私は科学者としての評価は置いて、ケプラーの人間性の方に親しみを感じます。
 彼は1611年に息子と妻を天然痘で亡くしたり三十年戦争で母を背負い逃げ惑うなど、激しく厳しい変動の時代に生きました。波乱に満ちた彼の生涯に感じ思うことは多くありますがそれは伝記に譲り、私は彼の著作『世界の調和』にきらめく詩心、私が心打たれた言葉を、ここに響かせたいと願います。
 引用は、『世界の調和』(ヨハネス・ケプラー、島村福太郎訳、『世界大思想全集(社会・宗教・科学31)』所収、河出書房新社、1963年)によります。

 まず、この著作全5巻の世界の全体イメージは次の目次から伝わってきます。
第1巻、幾何学篇。
     概要:調和的比例(音楽からの類推に由来。一定張力のもとで、たがいに協和音を発する弦がなす特定の簡単な比例。ピタゴラスが発見、定義)を証明する正則図形(正多角形、正多面体)の起源と記述。
第2巻、構造論篇、すなわち図形幾何学にもとづく篇。
第3巻、厳密な調和論篇。
     概要:図形の調和的比例の起源。古代と対照しての、音楽的事物の本性と相違。
第4巻、形而上学・心理学・占星術篇。
     概要:調和の精神的本質および世界における調和の特性。とくに天体から地上にふりかかる光線の調和、ならびに地上の心霊や人間の心霊など自然にたいするこれら光線の影響。
     第6章、星相と音楽的協和音との間には、その数とこれらに対する原因とについてどのような類似性があるか 。

 以上の4巻を踏まえケプラーは、第5巻、天文学・形而上学篇で、「調和的比例による離心率の起源と天体運動の完全な調和」を論じていきます。
 まず第3章で、「天体の調和を観察するに際して、不可欠な天文学の諸主要定理」として、第一、第二法則を振り返ったあとに第三法則を表明します。
  「地球を中心点としているのは月だけであって、その月を除いたすべての惑星は太陽のまわりを円を画いて運行している」
  「すべての惑星は偏心的であって、すなわちその太陽からの距離は変るものであって、それ故軌道のある地点においては太陽から最も遠ざかり、 反対側の地点においては太陽に最も近づく」。
  「詳しく私は次のことを証明した。すなわち、一つの惑星の軌道は楕円形(長円)であること、及び運動の源泉たる太陽は、この楕円の焦点にあることである。」(ケプラーの第一法則)
  「同一時間、例えば一日のうちには、偏心的な軌道上にえがく真の円弧はその太陽からの距離に反比例する」(ケプラーの第二法則)
 「ある二つの惑星運行周期の間に成立する比率は、平均距離、すなわち惑星軌道それ自体の比率の一カ二分の一乗に等しい」(ケプラーの第三法則)

 科学史、科学上の彼の業績は、ここまでの著述で完結します。あくなき探求心と執念なしになしえない膨大な計算の試行錯誤の結実に畏敬の念を抱かずにはいられません。
 ですがケプラーはこの叙述のうえにさらに、私が心打たれる言葉を紡ぎ、この美しい著作に織り込んでいきます。それらの彼の詩心と祈りの言葉について次回に記すとともに、彼は本当は何を書き伝えたかったのか、考えます。

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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