ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの「夜の讃歌」をここに咲かせます。
彼の言葉にはロマン派の真髄ともいうべき漲る心情が波うっていて、引き込まれ飲み込まれそうになります。二十代の私はこの波に溺れかけました。
その頃ノヴァーリスの詩とともに、
絵画でのドイツ・ロマン派の中心人物
フリードリヒの世界にも強く惹かれ画集を見つめていました。(彼の絵は次のサイトなどで御覧になれます。
「バーチャル美術館」)。
芸術の違いを越えて詩と絵画の美しい共鳴が響きわたっています。ふたりが志向してゆく先には、雲間からもれ来る光がさしています。後のフランス印象派のモネやスーラのあふれ揺らめく暖かな陽光ではなく、宇宙空間に散らばる星のように、夜の闇の空気を刺す冷たく澄み切った光、日の出の曙光、日の入りの消える瞬間の細く鋭く痛い光です。
ノヴァーリスと重なる時を生きた
ヘルダーリンが地中海を想い、憧れ、彼の創作世界で海の光を撒き散らしたのも、ノヴァーリスと同じように闇を感じ尽くしていたからだとわたしは思います。(
「ヘルダーリン、愛の詩」)
筑摩文庫の
小泉文子訳で、少し長い引用、全体六節から三と四を抄出させていただきました。
訳者改題によると、「夜の讃歌」は
1800年に公刊、約30年の生涯中に(若年時の一作品を除き)ノヴァーリス自身が完成して公刊した唯一の詩作品です。
ポオが最も詩的な主題だと言い自らの最後の
詩「アナベル・リー」に結晶化した
「愛する女性の死」を歌う詩です。
ダンテがベアトリーチェを
『新生』、『神曲』で永遠に蘇らせようとしたように、ノヴァーリスは
先立たれた婚約者ゾフィーの墓がある丘で運命の女性の永遠の姿をはっきりと見て抱きしめます。
韻文を散文に書き改めもしたという模索を通して形作られた言葉には濃密な詩情が立ち込めていて、散文箇所は続けざまに打ち寄せる波のような言葉の飛沫を響かせています。その響きに包まれた韻文、詩句は、
万葉集の長歌に照応する反歌のように美しく木霊していて、行末と行間に沈黙と余白をより多く含み込んでいるかたちと韻律は、まるで闇にさしこむ星の光の音楽そのもののようです。
感動を呼び覚ましてくれる独創に満ちたこの美しい作品がわたしはとても好きです。
次回は、ノヴァーリスの断章を通して、詩を見つめます。
「夜の讃歌」 三 かつて苦い涙を流し、苦しみに溶けてわが希望もはかなく消え、狭くて暗い窖(あなぐら)にわが生命(いのち)の姿を埋み隠した荒れた墓丘に、わたしはひとり寂しく立ち――いかな孤独の人にもまして寂しく、言いしれぬ不安に駆られ――力なく、ただ悲痛な思いに沈んでいたとき――救いを求めてあたりを見まわし、前を進むも後ろに退くもかなわず、尽きせぬ憧れこめて、逃れゆく生命(いのち)、消え去った生命にすがりついたとき――おりしも青色の彼方から――過ぎし日の至福の高みから――夕べの神立が不意に訪れ――突如として臍(へそ)の緒が――光の枷(かせ)が――断たれた。地上の壮麗さは消え去り、ともにわが悲しみを消え失せ――憂愁も、新たな無窮の世界へと流れ込んだ――夜の熱狂、天上の眠りであるおまえが、わたしの身に訪れ――あたりは静かに聳(そび)えていった。解き放たれ、新たな生を受けたわが霊が、その上に漂っていた。墓丘は砂塵(さじん)と化し――その砂塵を透かして、神々しく変容した恋人の面差しが見えた。その眼には永遠が宿っていた――わたしがその両の手をとると、涙はきらめく不断の糸となった。数千年が、嵐のごとく遠方に吹きすぎていった。恋人の首にすがって、わたしは新たな生に恍惚(こうこつ)となって涙を流した――それこそは最初にして唯一の夢だった――そしてようやくそのときから、わたしは夜の天空と、その光である恋人への、永遠不変の信を感じている。
「夜の讃歌」 四 いまこそわたしは知る、最後の朝が到来する時を――光が、もはや夜と愛とを追い立てなくなる時を――まどろみが永遠となり、ただひとつの尽きせぬ夢となる時を。わたしは身内にこの世ならぬ疲れを覚える。――聖墳墓への巡礼の道は遠く、わたしは疲れ、十字架は重くのしかかった。墓丘の暗いふところに、俗なる感覚にはうかがい知れぬ水晶の波が湧きいで、墓丘の根かたで地上の洪水は砕け散る。この水晶の水を味わった者、この世の境をなす山の頂きに立ち、新たな領国、夜の住処を、眺めやった者は――まこと、この世の営みに戻ることなく、光が永遠に落ち着くことなく住まう国に還りはしない。 この者が、山上に小屋を、平和の小屋を建て、憧れ愛しつつ、彼方を見はるかしていると、ついにはあらゆる時のなかで最も好ましい時が到来し、かれをあの下方の沸き出ずる泉へとひきこんでいく――地上的なものは水面に浮かびあがり、嵐によって元の場所へ引き戻される。だが、愛に触れて聖化されたものは、溶けて流れゆき、隠された道をたどって彼岸の領域に入りこみ、さながら香りが混じりあうように、眠れる愛しき者らと融けあう。 溌剌(はつらつ)たる光よ、なおもおまえは疲れた者を呼び覚まし、仕事へと駆り立て――わたしに陽気な生を送らせようとする――だが、おまえは、追憶の苔むした墓碑からわたしを引き離すことはできない。わたしは喜んで、まめなるこの両手を働かせもしよう、おまえがわたしを必要とするところを求めて、あちこちと見てまわりもしよう――おまえの栄耀に満ちた華麗な姿を称えもしよう――おまえの造化の妙の美しい連なりを、飽かず追い求めもしよう――おまえの巨大な輝く時計の意味深い歩みを、喜んで観じもしよう――諸々の力の均衡のわけを探り、数知れぬ空間とそこに流れるっ時間の摩訶不思議な遊戯の法則を究めもしよう。だが、わたしの秘められた心は、夜と、その娘である産む愛に、変わらぬ忠誠(まこと)をつくす。光よ、おまえはわたしに永遠に忠誠をつくす心を示せるか。おまえの太陽は、わたしを認める親しげな眼を持っているか。おまえの星は、わたしが願い求めて差し伸べる手をとらえてくれるか。やさしくわたしの手を握り返し、甘い言葉をささやいてくれるか。おまえはとりどりの色と軽やかな輪郭でもって彼女を飾ったか――それとも、おまえの装飾に、より高い、より好ましい意味を与えたものこそ、彼女であったのか。おまえの生は、死の陶酔にみあうどんな喜悦を、どんな享楽を約束してくれるのか。われらを熱狂させる〔霊感を与える〕ものはすべて、夜の色彩を帯びてはいないか。夜はおまえを母のように腕に抱き、おまえはその栄光のすべてを夜に負っている。おまえが熱を帯び、炎と燃えながら世界を産むことができるようにと、夜がおまえをとらえ、繋ぎとめてくれないならば、おまえは自分自身のなかで消尽し――無限の空間に溶け失せていくだろう。まことわたしは、おまえが存在する以前に在ったのだ――母が、わたしをっ兄弟姉妹(はらから)とともにここに遣わしたのだ、おまえの世界に住み、その世界を愛をもって聖化し、永遠に見つめられる記念碑とするように――けっして萎れることのない花をそこに植えるように、と。この神のごとき慮(おもんばか)りも、まだ世界を成熟させはしなかった――われらの啓示の痕跡はなおわずかでしかない――いつかおまえが、われらのひとりとひとしくなり、憧れと熱情にあふれるまま消え失せ、死んでいくとき、おまえの時計は、時の終焉を告げるだろう。わたしは心のうちに、おまえのせわしない営みが終るのを感じる――天上の自由、至福が還り来るのを感じる。激しい苦痛のうちにわたしは、おまえがわれらの故郷から遠ざかり、いにしえの栄光に包まれた天上に反逆するのを知る。おまえの憤怒、おまえの激昂はむなしい。十字架は――われらの族(うから)の御旗は――焼き尽くされずに立つ。
彼岸へとわたしは巡礼の途につく、
するといかな苦痛も
いつの日か快楽の
疼きに変わるだろう。
なおしばし時が経てば
わたしは解き放たれ、
酔いしれて
愛する人の膝に身を横たえるだろう。
尽きせぬ生命が
わたしのなかで力強くうねる
わたしは上つ方から
おまえを見下ろす。
あの墓丘のもとに
おまえの光耀は消える――
ひとつの影が
涼やかな葉冠をたずさえてくる。
おお、愛する者よ、
わたしを力強く吸い込んでくれ!
わたしが眠りに落ち
愛することができるように。
死の若やぎの潮を
わたしは感じる、
わたしの血潮は
香油(パルサム)とエーテルに変わる――
わたしは昼を
信仰と勇気に満ちて生き
そして夜ごと
聖なる灼熱に包まれて死ぬ。
出典:
「夜の讃歌」『ノヴァーリス作品集Ⅲ』(小泉文子訳、筑摩文庫、2007年)。
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