万葉集の作者未詳の歌たち、名を残さなかった人たちの、私が好きなもうひとつの詩歌、正述心緒の相聞歌についての思いを記します。
万葉集巻十一・巻十二には、
作者未詳の「ただに思いを述べたる(正述心緒)」が編み込まれていて、その多くが
相聞歌です。
ただに思いを述べたる、この言葉そのままの、生きている思いの揺れ動きをそのまま言葉に込めたはだかの歌です。感情の体温、なまの暖かさ、熱さ、凍える寒さをもつ、感動そのままの響きです。
女と男、ひとりの人からひとりの人への伝えずにはいられない思い、いとおしさ、せつなさ、哀しみが、恋のうたの波となり、揺らめいている、愛(かな)しみの歌です。
自分のこころをまっすぐにみつめた歌、愛する人に愛する思いをまっすぐに伝えたいと願いふるえる歌です。
私は万葉集のなかで、この正述心緒にもっとも惹かれます。読むたびに歌が自分の思いとなって揺れだし、歌の体温がこころの肌にしみてきます。言葉で伝えずにはいられない思いをうたう、思いを言葉に託す、感動を歌にこめるという詩歌の源泉から湧き出した清流、時代、場所を越えて生まれた詩歌のうち、もっとも良い歌だと感じます。
名を残さなかった人たちの、愛のうたは、今生きている私の心の思いをも歌ってくれます。私の思いを揺りおこし、わたしの心と重なり、みつめることをうながし、気づかせてくれます。
千数百年の時を越えて変わらない、人が生きる限り抱き続ける思いの流れに、私もまたいることを知ります。時を越えて伝えられた思いに、時の流れのなかで共感し感動できることこそ、詩歌があり続ける理由ではないかと思います。わたしも作者未詳となっても、思いを込めた正述心緒の詩歌に加わり、伝えられたらと願います。
相聞歌と同じように、強く魂をゆさぶられる詩歌は、挽歌、鎮魂の歌です。このもうひとつの大切な詩歌については別の機会に記します。次回は、万葉集巻十四の東歌を見つめなおしたいと思います。
万葉集巻十一・巻十二の正述心緒の相聞歌の野花畑から、私がとくに好きな歌、生まれた時の姿のままで今もこの心に伝わる歌を思いのまま摘んで、「愛(かな)しい詩歌」に咲かせます。
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