『詩と思想』9月号の新刊セレクションで、
詩人の香咲萌さんが私の詩集『こころうた こころ絵ほん』を書評してくださいました。おおきく全体を受けとめ感じとってくださった嬉しい言葉でした。
ここには読ませて頂いて感じた二つの小さなことがらについてだけ書き留めておきます。
1.
少年詩 この言葉は意外ではありませんが、予想していなかった私には新鮮でした。子どもこころの作品が多いことは確かですし、私は詩ごころは、子どものときから変わらないこころの姿だと思っていますので、大人である私がいま意識せずに創った作品を、少年詩、子どもの目線、まなざし、子どもこころの詩と感じて頂けたとしたら、詩人として嬉しく思います。
2. 難しい字に
「ふりがな」があること。
作品に「ふりがな」がふられているので、幅広い年齢の方にとって読みやすいとの感想について、次のように考えています。
たとえば、私が好きな「愛しい」という日本語表記は、「かなしい」とも「いとしい」とも読めます。「愛おしい」、「いとおしい」という言葉もその隣りにいます。このことは象形文字の漢字と、表音文字のひらがな(カタカナ)をあわせもつ日本語の豊かな特徴だと思いますが、長所は短所と表裏でこの曖昧さは作品を損なうこともあります。
私は作品ごとに、また作品での言葉・詩句の位置(と他の詩句との並び)によって、漢字、ひらがな、カタカナを使い分けつつ、複数の読みができる漢字を選んだ場合には必ずふりがなをふります。
私が「愛しい」と表記するとき、「かなしい」と感じ伝えたいのか、「いとしい」と感じ伝えたいのか、作者としての意思を間違いなく届けたいからです。
ふりがななんてつける必要はないと考える作者もいると思いますが、私自身の読者としての経験から、複数の読み方ができる場合に書き手がどちらの読みで書いたかを正確に読みとることはとても難しいと考えています。文脈、前後の言葉から、あるいは、音の流れから、また作者の言葉使いの癖から、たぶんこのように読むのだろうと判断しますが、もしかしたらその箇所だけは例外的に読ませたかったのかも知れず、結局誰にもわかりません。書き手と、編集者と、読者それぞれが、別々の読み方をしていることさえあると私は思っています。恥ずかしいから誰も言わないだけです。
散文の場合には、一般的な読み方で読まれればよい、どちらで読まれてもよいと考える著者もいると思います。
けれど詩作品にとっては、詩句の音と形はとても大切なもので、意味・メッセージと分かちがたく溶け合っています。人にとってのからだとこころが切りはなしがたく結びついているようなものです。
「愛(かな)しい」、「愛(いと)しい」、言葉・詩句による想いのゆらぎのちがい、ただひとつきりのその姿を見つめ(ることで普遍をも見つけ)るのが詩です。
漢字の凝縮した硬い形と複数の音を隠して抱いている姿を生かしたい言葉・詩句には、その音も、読者が迷わずに感じとってくださるよう、「ふりがな」を私はふります。ひらがなのやわらかな形と一音一音をひろいながら読みとってほしいときには、ひらがなを選びます。
このように日本語の詩の美しい言葉・詩句には、せせらぎのひかりのように、みずみずしい変奏の音色が息づいています。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画 ☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
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