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『こころうた こころ絵ほん』の図書新聞書評に想う

 『図書新聞』3077号(2012年9月8日号)で詩人のたかとう匤子さんが、私の『詩集 こころうた こころ絵ほん』の書評を執筆してくださいました。
 「生きることの美しさにあふれた一冊 ― 厳しい問題にも踏みこんでもうひとつの片身(=半身)も見せてほしい」というタイトルです。今回は、この書評に感じたことを書き留めます。

 構成は標題と副題に添う形で、前半と後半に分かれています。その要約を記した後に、私の感想を書きます。

1.書評前半部 
① 内容について:平和でのどか。生きることの美しさにあふれた。人の心のあり方を善意な眼差しでいろんな角度から。心優しい。愛がいっぱい満ち満ちている。
② かたちについて:童謡詩。生活啓蒙詩。大人の童話。愛にあふれたメッセージ。誠実で一貫した。
③ 引用:詩「優しさの花(むぅ)もみじの赤ちゃん」から。詩「こころ絵ほん(みぃ) たんぽぽ道草わたぼうし」から。

☆ 私の感想・前半部について
 「私の中にもこういう風景はあり、遠い昔を懐かしむような気持ちになった。(略)私がかつて生きてきた時代にはこういう情緒も、風景もあった。」私はこのように感じとってくださった評者のこの言葉をとても嬉しく受けとめます。
 そのうえで、こういう情緒、風景は、決して過去のものではない、今もあるし、これからも失くしてはいけない、と思っています。過去のものになりそうであるなら、壊されつつあり、忘却されようとしているなら、なおさら私は詩を、言葉の絵本を描き、思い出すため、思いおこすため、忘れないために、歌い続けたいと願います。

2.書評後半部
④ 気がかり:絵本とみるか、児童文学とみるか。現代詩とはちょっと違う。
⑤ 評者にとっての現代詩:時代や状況など切実な時代相と向き合って、矛盾に充ちた苦難に耐えながら、そこから言葉は生まれてくる。愛や信頼や喜怒哀楽(略)だけではちょっと物足りないのではないか。
 二十一世紀は、厳しい問題が山積、苦しいことばかり。矛盾に充ちた苦難に耐えながら、そこから言葉は生まれてくる。現代詩はこういった問題を引き受けており、時には難解になったりする。
<児童虐待>、母の愛を絶対と言えない現実。集団登校。ボランティアによる児童の引率、道草などありえない。通学路に車が飛び込んできて死傷者が出たのは記憶に新しい。
⑥ 引用:詩「なみだ」。作者は詩集の中で反戦の気持ちを歌い、詩集の発行日が3・11からちょうど一年後の「2012年3月11日」となっていて、そこにある作者の時代へのこだわりもまた伝わってきた。
⑦ 批評の核心:こういう現実を詩の言葉としてどう引き受けるか。こういった現実に目を覆っての「こころうた」では、片身(=半身)でしかない。絶えず葛藤を描くこと、それがないと文学などあり得ない。踏み込んでもうひとつの片身(=半身)も見せてほしい。

☆ 私の感想・後半部について
 評者の言葉は作者として素直に受け入れられるものでした。この本を私は現代詩とは思っていませんし、こだわりもありません。難解な言語と観念を弄ぶ<現代詩>を私は好きでありませんが、評者の現代詩観は私に近しいものに感じました。
 評者に気がかりが生まれるのは、次のような私の文学と詩についての想いによるのだと感じます。

 今、生きているのだから、今を、現代を、重く捉えるのは当たり前のことなのだと思います。けれどそれが高じると、現代を特別視した、過去より進歩した結果としてある、優れた時代だとする驕りに陥ります。
 私は、現代が優れているわけでもなく、今生きている人間が進化した生物とも思いません。時代、状況、矛盾に充ちた苦難、苦しい問題が山積した、苦しいことばかり、なのは現代だけではありません。有史以来、この星の上あらゆるところで、ずっと続いていることです。
 けれどいつの時代にも、自分と愛する人たちが生きているからこそ「切実な時代相と向き合って、矛盾に充ちた苦難に耐えながら、そこから言葉は生まれてくる。」詩は生まれてきます。

 もうひとつ、今、いわゆる<現代詩>には、「愛や信頼や喜怒哀楽」が、あまりに剥落し乾き切っています。「愛や信頼や喜怒哀楽」を感じ伝え合うことこそ人間として生きることなのだから、「愛や信頼や喜怒哀楽」のない文学は人間の文学ではなく詩ではありません。<現代詩>であろうがなかろうが、どうでもいいことです。
 人間の文学、詩があればよいし、私が生みたいのはそれだけです。

 生きている、切実な時代に向き合うところからしか詩は生まれないと、私も思っています。このことを評者もおそらく感じとってくださっていると、⑥の引用に添えてくださった言葉でわかります。
 ですから、この批評の核心の言葉は、もっと踏み込んで表現しろ、がんばれ、という励ましのように、私には思えました。
 このことは、この詩集の刊行後に生まれた私の新しい詩「いま、ここで」や「青い空のあの白いを読んでいただくと、評者もわかってくださる気がします。がんばりたいと思います。


 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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