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大塚楠緒子の詩。女心に咎ありや。

 女性の詩人の作品をみつめています。今回からは近代詩(新体詩)が生れた明治にもう一度さかのぼってみます。中公文庫の『日本の詩歌』や筑摩書房の『現代詩集』にあまりにも女性の詩が欠けている偏りについて記しましたが、今回次の特集を読んで私のその感覚は間違っていないと感じました。

 今回からしばらくは『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録された作品を読みとっていきます。
 図書館で借りて読みましたが、とても優れた特集だと感じます。良い詩、心に響く詩がこんなにあったのに知らなかったと痛感しました。
 この特集は発行年時点でご存命の方は自薦の作品となっています。生年の早い方から掲載されていますので、私もその順に読み進めます。
 
 そのうえで、この特集にたまたま選ばれていないけれど良い詩人たちがいらっしゃることは忘れずに、他の出会いの機会を待ちたいと考えます。
 また、おそらくアンソロジーの性質上、制限行数を越える作品は対象から外されています。一作品だけで詩人の人間性と生きざま、作品の豊かな拡がりと深さ奥行きを知ることは無理です。私が取りあげられなかった詩人、作品にこそ共感する読者もいらっしゃると思います。

 詩人の多くの作品からたまたま選ばれた一作品が、私の感性に通いあう好みのもので心に響き、私が書きたいテーマを投げかけてくれるものだったという出会い、それは偶然であることを忘れず謙虚に、ただその出会いを伝えたいとの想いには素直に、書いていきます。
 

 初回は、大塚楠緒子(おおつか・くすおこ、1875年明治8年~1910年明治43年)の詩です。私はこの詩人を知らず作品も今回初めて読みました。
 「太陽」1905年明治38年1月第十一巻第一号に初出。日露戦争を背景にしています。
 この特集でもこの詩人の次に同じ戦争を背景にした与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」が掲載されています。(次のブログで書きました「戦争を厭う歌。『日本歌唱集』(五)」)。

  お百度詣
           大塚楠緒子


ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、
ふたあし国を思へども、
三足(あし)ふたゝび夫おもふ、
女心に咎ありや。

朝日に匂ふ日の本の、
国は世界に唯一つ。
妻と呼ばれて契りてし、
人も此世に唯ひとり。

かくて御国(みくに)と我夫(つま)と
いづれ重しととはれなば
たゞ答へずに泣かんのみ
お百度まうであゝ咎ありや


 作品は近代詩の曙光といわれる島崎藤村の『若菜集』などと同じように、文語の七五調、音数律のリズム感の快さが散文ではない詩として感じとらせてくれます。
 私は、世間一般の論調が、戦争讃美の勇ましさを善と叫んでいる時代に、このような静かな心の真実を作品とした作者を尊敬します。
 晶子の詩のような強靭さとは違う問いかけ方をこの詩人はします、自問するように。
女心に咎ありや。」
 国と愛する人を計りにかける、隠れキリスタンへの踏み絵のような問い詰めに対して、晶子のように真正面に反論する方法ではなく、この詩人のありのままの想いで抵抗します。
たゞ答へずに泣かんのみ

 私は、人間には真理は示せないけれど、心の真実をふるわせ伝えようとすることはできる、それが詩だと思います。
 晶子と楠緒子は、それぞれの個性のふるえだす形で、偽りのない心の真実を歌っているから、表情はちがうそれぞれの詩が、心を打つのだと思います。この詩に出会えてよかった、そう感じます。

 次回も、心に響く女性の詩人の詩をみつめます。

 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
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[C49] 詩は標語ではありません

詩は標語ではありません。目的でも準備でもありません。
バッハは自分の音楽をただ聴けと言いました。

[C50] Re: 詩は標語ではありません

> 詩は標語ではありません。目的でも準備でもありません。
> バッハは自分の音楽をただ聴けと言いました。

こんにちは。コメントありがとうございます。

音楽と言葉は、同じ芸術ではありません。
バッハは音楽の表現で用いれる方法を最大限に活かしています、音楽は聞くものです。

現代詩がつまらないのは、言葉による表現に用いれる方法を大切に活かしていないからです。
言葉の音楽性を失い、何よりのちからである意味の伝達を傲慢におとしめています。
独善的な独語の理知だけの言葉遊びで自己満足する言葉は、音楽でも詩でも芸術でもありません。

頭でっかちですが、人間性の引き付ける魅力がなく、とても幼稚だと思います。
読まれなくて、当たり前です。
  • 2012-10-19 15:11
  • 高畑耕治
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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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