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与謝野晶子の詩歌(四)。詩と戦争。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。前回は彼女の詩「君死にたもうことなかれ」と「ひらきぶみ」を通して詩の本質について考えました。

 彼女が生きた時代には、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦(日中戦争、太平洋戦争)を日本の国家はおこしました。
 今回初めて私は、日露戦争の際の詩「君死にたもうことなかれ」の後に、晶子が戦争を主題に書いた詩数篇を読みました。
 良いと感じる詩と悪いと感じる詩がありました。なぜだろう? このことを想いめぐらしました。

 最初に、悪いと感じた詩「戦争」を。
 第三連を読むと悲しくなります。与謝野晶子に限らず、優れた多くの詩歌人が、戦争を主題に表現するとき、時代にのみこまれ、詩歌の本質を見失った言葉を書いてしまいました。

 この作品は詩ではなく、主張に過ぎません。それも個人の言葉ではなく、その時代に勢力をもった考え方をなぞりながら、詩の形にしただけなので、とても無惨です。生活費のために注文に応じて書いたのかもしれません。

 この言葉には「まことの心」の強さがありません。作者にとって書かずにはいられない切実な源、日露戦争時の弟に対する切実な心情の源がないからです。
 「すべての人類に/真の平和を」という言葉は、政治家の演説やマスコミの記事と同じレベルのその場かぎりの放言にな過ぎません。時代を越えて変質しない、個人の「まことの心」の切実さを通してだけ生まれ光り続ける文学価値が見失われています。
 言葉による表現の負の側面を、考えさせられる作品です。


  戦争
      与謝野晶子


大錯誤《おほまちがひ》の時が来た、
赤い恐怖《おそれ》の時が来た、
野蛮が濶《ひろ》い羽《はね》を伸し、
文明人が一斉に
食人族《しよくじんぞく》の仮面《めん》を被《き》る。

ひとり世界を敵とする、
日耳曼人《ゲルマンじん》の大胆さ、
健気《けなげ》さ、しかし此様《このやう》な
悪の力の偏重《へんちよう》が
調節されずに已《や》まれよか。

いまは戦ふ時である、
戦嫌《いくさぎら》ひのわたしさへ
今日《けふ》此頃《このごろ》は気が昂《あが》る。
世界の霊と身と骨が
一度に呻《うめ》く時が来た。

大陣痛《だいぢんつう》の時が来た、
生みの悩みの時が来た。
荒い血汐《ちしほ》の洗礼で、
世界は更に新しい
知らぬ命を生むであろ。

其《そ》れがすべての人類に
真の平和を持ち来《きた》す
精神《アアム》でなくて何《な》んであろ。
どんな犠牲を払うても
いまは戦ふ時である。


 逆に次の2篇の詩には、私は少なくとも詩としての文学価値を感じます。
 政治と同じ次元で世論を動かす力をもつかどうかということとは別の基準でしか感じ取れない大切な価値、「まことの心」、人の心を言葉にして響かせ、伝えているからです。
 詩句の巧拙をあげつらうことを越えて、作者が感じ言葉で詩作品として伝えようとした心、悲しみが、偽りないものとして私の心に沁み入り、その響きを失わないからです。
 時代に押しつぶされない、文学の言葉による表現が生みだす価値を教えてくれる詩です。

 そのうえで詩として「君死にたもうことなかれ」ほどの胸に迫る強い表現にまでなっていないのは、少し離れた傍観者の位置で同情しているからだと思います。切実さの度合いが違うこと、そして彼女も年を重ね、老い、疲れていたのだとも感じます。
 でもこのことは、「君死にたもうことなかれ」が詩として、与謝野晶子からその時に出産されるべき運命にあった、その与謝野晶子だからこそ生み出すことができた心の結晶、文学として時代を越え抜き出ている作品だということを教えてくれてもいるので、考えさせられます。生き続け、書き続けた晶子を、私は敬愛しているからです。


  〔無題〕(昭和十年)
       与謝野晶子


しら布に覆へる小箱、
三等車より下《お》り来たる。
黙黙として抱だきたるは
羽織袴の青年。
名誉の死者の弟か。

知らぬ他国の我れなれど、
この駅に来合せて、
人人の後ろより、
手を合せつつ見送れば
涙先づ落つ。

駅のそとには
一すぢの旗動き、
兵士、友人、縁者の一群《いちぐん》
粛然と遺骨の箱に従ふ。
「万歳」の声も無し。

我れは思ふ、
などか此の尊き戦死者の霊を
此のふるさとに送るに
一等車を以てせざりしや。
我が涙また落つ。


  〔無題〕(昭和十年)
        与謝野晶子


師走の初め、都にも
今年は寒く雪ふりぬ。
出羽奥州の凶作地
如何に真冬のつらからん。

陛下の御代の臣《おみ》たちよ、
人飢ゑしむること勿れ。
国には米の余れるに
恵みて分つすべ無きか。

市人《いちびと》たちよ、重ねたる
衣《きぬ》の一つを脱ぎたまへ。
飢ゑ凍えたる父母に
その少女らを売らしむな。

彼等の子なる兵士らは
出でて御国を護れども、
ああ、その心、ふるさとの
家を思はば悲まん。

ともに陛下の御民なり。
へへひさ是れよそごとか、ただごとか。
いざ、もろともに分けて負へ、
彼等の難は己が難。


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。
 ☆ お知らせ ☆

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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