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与謝野晶子の詩歌(八)。喜怒哀楽の潮騒を歌にして。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。

 今回は晶子の生活者としての表情がにじむ、母親としての心情を吐露した2篇の詩です。
 短歌だけで晶子をしっているつもりでいた私にとって、詩のかたちで、このように自分の生活の様子を歌っていることがわかったことは、驚きでもあり、新鮮でもあり、喜びでした。

 歌人も詩人も人間です。喜び、楽しみ、悲しみ、嘆く人間です。
 磨きあげられた端正で流暢な短歌は美しく心に響きますが、人間味もあふれる歌はもっとゆっくりじんわり心に沁み、訴えるちからがあると私は思います。
 形式を比較することが生業の批評家は好まないかもしれませんが、私はきめられた形からはみだしてしまう、人間の肉声の息づかいのする歌が好きです。

 詩「日曜の朝飯」は、心はずむ、笑顔いっぱいの、母親の愛情あふれる歌です。読むと心が楽しく温かく成ります。
 対照的に、詩「冷たい夕飯」は、やりくりに行き詰り、どうにもならなくなった嘆きの歌です。

 海の波のように大きく揺れ動くのが人間の心です。そして詩人は感受性の敏感さがいのちです。
 この2篇の詩の、天国と地獄のような喜怒哀楽のとても大きな浮き沈みこそ、晶子がまぎれもなく心におおきな海を抱え、海の波の揺れ動く変化に生まれる潮騒を歌にして生きた詩人だったと教えてくれる気が私にはします。

  日曜の朝飯
            与謝野晶子


さあ、一所《いつしよ》に、我家《うち》の日曜の朝の御飯。
(顔を洗うた親子八人《はちにん》、)
みんなが二つのちやぶ台を囲みませう、
みんなが洗ひ立ての白い胸布《セルヴェツト》を当てませう。
独り赤さんのアウギユストだけは
おとなしく母さんの膝《ひざ》の横に坐《すわ》るのねえ。
お早う、
お早う、
それ、アウギユストもお辞儀をしますよ、お早う、
何時《いつ》もの二斤《にきん》の仏蘭西麺包《フランスパン》に
今日《けふ》はバタとジヤムもある、
三合の牛乳《ちち》もある、
珍しい青豌豆《えんどう》の御飯に、
参州《さんしう》味噌の蜆《しゞみ》汁、
うづら豆、
それから新漬《しんづけ》の蕪菁《かぶ》もある。
みんな好きな物を勝手におあがり、
ゆつくりとおあがり、
たくさんにおあがり。
朝の御飯は贅沢《ぜいたく》に食べる、
午《ひる》の御飯は肥《こ》えるやうに食べる、
夜《よる》の御飯は楽《たのし》みに食べる、
それは全《まつた》く他人《よそ》のこと。
我家《うち》の様な家《いへ》の御飯はね、
三度が三度、
父さんや母さんは働く為《ため》に食べる、
子供のあなた達は、よく遊び、
よく大きくなり、よく歌ひ、
よく学校へ行《ゆ》き、本を読み、
よく物を知るやうに食べる。
ゆつくりおあがり、
たくさんにおあがり。
せめて日曜の朝だけは
父さんや母さんも人並に
ゆつくりみんなと食べませう。
お茶を飲んだら元気よく
日曜学校へお行《ゆ》き、
みんなでお行《ゆ》き。
さあ、一所《いつしよ》に、我家《うち》の日曜の朝の御飯。


  冷たい夕飯
           与謝野晶子


ああ、ああ、どうなつて行《い》くのでせう、
智慧も工夫も尽きました。
それが僅《わづ》かなおあしでありながら、
融通の附《つ》かないと云《い》ふことが
こんなに大きく私達を苦《くるし》めます。
正《たゞ》しく受取る物が
本屋の不景気から受取れずに、
幾月《いくつき》も苦しい遣繰《やりくり》や
恥を忘れた借りを重ねて、
ああ、たうとう行《ゆ》きづまりました。

人は私達の表面《うはべ》を見て、
くらしむきが下手《へた》だと云《い》ふでせう。
もちろん、下手《へた》に違ひありません、
でも、これ以上に働くことが
私達に出来るでせうか。
また働きに対する報酬の齟齬《そご》を
これ以下に忍ばねばならないと云《い》ふことが
怖《おそ》ろしい禍《わざはひ》でないでせうか。
少なくとも、私達の大勢の家族が
避け得られることでせうか。

今日《けふ》は勿論《もちろん》家賃を払ひませなんだ、
その外《ほか》の払ひには
二月《ふたつき》まへ、三月《みつき》まへからの借りが
義理わるく溜《たま》つてゐるのです。
それを延ばす言葉も
今までは当てがあつて云《い》つたことが
已《や》むを得ず嘘《うそ》になつたのでした。
しかし、今日《けふ》こそは、
嘘《うそ》になると知つて嘘《うそ》を云《い》ひました。
どうして、ほんたうの事が云《い》はれませう。

何《なに》も知らない子供達は
今日《けふ》の天長節を喜んでゐました。
中にも光《ひかる》は
明日《あす》の自分の誕生日を
毎年《まいとし》のやうに、気持よく、
弟や妹達と祝ふ積《つも》りでゐます。
子供達のみづみづしい顔を
二つのちやぶ台の四方《しはう》に見ながら、
ああ、私達ふたおやは
冷たい夕飯《ゆふはん》を頂きました。

もう私達は顛覆《てんぷく》するでせう、
隠して来たぼろを出すでせう、
体裁を云《い》つてゐられないでせう、
ほんたうに親子拾何人が餓《かつ》ゑるでせう。
全《まつた》くです、私達を
再び立て直す日が来ました。
耻と、自殺と、狂気とにすれすれになつて、
私達を試みる
赤裸裸の、極寒《ごくかん》の、
氷のなかの日が来ました。
       (一九一七年十二月作)


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

 次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。
 ☆ お知らせ ☆

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 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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