Entries

詩人・尼崎安四。一兵卒として。戦友、戦後。

 俳人・山田句塔の自由律俳句を二回にわたり感じとりました。今回は、彼の戦友であった詩人・尼崎安四について記します。

(尼崎安四と彼の詩については、次のエッセイでも紹介しています。ご覧いただけたら、嬉しく思います。  
   詩人・尼崎安四(一)。詩はいのちの生き様。  詩人・尼崎安四(二)。詩は愛。)。

 最初に、心を深く打つ彼の詩「お母さん泣くのはよして下さい」の詩行「あなたの子供はほんたうに正直に生き抜いてきました」そのままのように、彼の人間性を想わずにはいられないエピソードを、細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号から引用します。

● 以下、引用
 彼は京都大学をとうとう卒業しなかった。卒業試験の日、涼香と富士正晴が彼の腕をつかんで大学へ連れていき、教室に入るまで見届けたのだが、彼は別の扉から遁走してしまった。大学を卒業すると軍隊に入って将校になれるのだが、安四は戦争に反対で、将校のような責任者で戦争するのがいやだったのだろう。
(引用終わり)●

 安四は一兵卒として従軍しました。戦場で死への行動を兵卒に命じる将校を忌避して、命ぜられる一兵卒でいました。これは死の危険に自らを晒す行為です。死を覚悟して出征したと思います。
 それでも反対する戦争で弱者に死を命ずる立場をとることをよしとせず、「ほんたうに正直に」生きようとした彼の生きき方を、私は心から尊敬します。
 そのような彼だったからこそ、芸術を愛し深く理解しあった戦友たちも、彼を死と仰ぐ詩人も、自分の生涯をかけて、彼と彼の詩を、世に伝えようとし続けてきたのだと、私は感じます。

 詩人・諫川正臣は、主宰する詩誌「黒豹」で、詩の師と仰ぐ尼崎安四のことを伝え続けてきました。今回の私の一連のエッセイはすべて、この詩人がお伝えくださった資料に基いています。その情熱と意思、込められた思いに感じて、少しでも伝えることができればと、書いています。

 次の記事には、尼崎安四の戦場での姿と、戦後の姿、病気で亡くなった後に戦友たちがどんなに彼を想い尽力したかが伝えられていて、心打たれます。少し長い引用となりますが、記録の意味でも書き伝えたいと願います。

● 以下、諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」133号編集後記からの引用です。

★ 尼崎安四は戦場でも多くの詩を書いたが、三人の戦友がそれぞれに書き写して復員し、安四の詩の顕彰に努めた。境港市の佐々木謙氏は謄写印刷の手作り詩集を昭和四十一年に発行している。詩二十六篇と漢詩五作品を掲載。本号掲載の「きよに」のほか、『定本尼崎安四詩集』の作品、「雪の書物」「雪の面輪」「竹」「バリの踊り子」「火砲」「夜襲行」「蓮の歌」が殆どそのまま掲載されている。その冒頭に記された佐々木氏の序文を掲げたい。

■ 佐々木謙氏の序文の引用
 「昭和二十年七月 敗戦前夜の濠北戦線ケイ群島フィシタンの陣地にあって、戦友尼崎安四と詩を論じた。彼は自らの過去を語ることが好きではなかった。生まれは京都、大学は法科とか。彼にも何か『人間の条件』の主人公に似た過去があったと見えて、部隊幹部から睨まれたインテリ兵士であった。私とはケイ群島で、原住民指導班としてナデ部落に二人だけで住んだのが縁で親交をふかめた。明日知れぬ戦陣、その激動の中になお詩を捨てず、この詩集は彼が密林の中で私の手製のノートに烏賊の墨で書いたもの。復員帰国の後、消息が不明、一時岡山蓮台寺に居たといい、やがて不遇のうちに世を去ったともいう。こよなく美しいこの詩集に私は“雪の面輪”と銘した。彼もまた南島に雪を恋うた兵であったからである。 昭和四十一年八月 佐々木 謙」
(序文引用終わり)■

(諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」引用の続き)
なお、佐々木氏は考古学者と伺って居る。この詩集の「きよに」には題名がなく、詩の前に「君待つとわが恋居ればわが宿の簾うごかし阿騎の風吹く 額田王」があり、詩の後に「風をだに恋ふるは羨し風をだに来んとし待たば何か歎かん 鏡王女」が掲げられているが、安四自身の編集した詩集『微笑と絶望』の「きよに」にはこれが無い。安四自身も戦場で作った詩を持ち帰ったと思うが、殆ど捨てたと聞いたことがある。『定本尼崎安四詩集』には戦場で作られた作品が十一篇あるが、殆ど手が加えられてない。安四の属した加古川編成の野戦高射砲大隊には俳人や挿絵画家、考古学者など美意識の高い兵士にめぐまれたことは幸いであった。「蓮の歌」や「バリの踊女」など、多くの兵士たちで朗読されたと聞いている。

安四は妻の郷里である愛媛県西条市に居住。海人草やパルプ材の仲買などの商売に従事して、最初は好調だったが、集金がままならず、借財が増え、一時は大阪の山田氏を頼って居候していたこともあり、日雇いの仕事などをしながら、「噴水」「微塵」「バス」「風」などを書いている。昭和二十六年九月、西条高校英語科教師となるも翌年一月に骨髄性白血病を患い、別子住友病院に入院。多くの生徒からの献血もあったが、五月五日に他界された。(略)(諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」引用終わり)●。

 尼崎安四が病死した後、佐々木氏が謄写印刷による手作りの尼崎安四詩集を発行しました。その後も、彼の友人たちは彼の詩を世に出す尽力を続け、実現しました。

 次回は『定本尼崎安四詩集』を刊行した人たちの情熱に対する敬意を記します。

■ 出典:諫川正臣 詩誌「黒豹」133号 編集後記。細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号。
 ☆ お知らせ ☆

 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
☆ Amazonでのネット注文がこちらからできます。
    詩集 こころうた こころ絵ほん

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画  

関連記事
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
https://blog.ainoutanoehon.jp/tb.php/616-526a5030

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

最新記事