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ルソー『エミール』(五)わたしが悪を行なうなら。

 ジャン・ジャック・ルソー(1712年~1778年)の主著のひとつ『エミール または教育について』(1760年)の第四篇にある「サヴォワの助任司祭の信仰告白」を、読み感じとり考えています。

 「サヴォワの助任司祭の信仰告白」の流れの中から、ルソー自身の宇宙観、世界観、社会観、宗教観が奔流のように流れ私の魂を特に揺さぶり、想い、考えずにはいられないと感じる、主題が述べられた言葉を引用し、私がなぜ共感したのか、どの言葉に惹かれ、どう考えるのか、私の言葉を添えていきたいと思います。
 どの主題についてもルソーが語っている言葉は、いまなお、向き合い想いを深めてくれるだけの、真実性を響かせていると私は思います。

 今回は5回目、ルソーが人間の善と悪について述べている箇所です。
 
 ここには、人間の心の、善と悪についての、印象深い言葉が述べられています。
「どうして来世に地獄を求める必要があろう。地獄はもうこの世から悪人の心のなかにあるのだ。」
「正義に対する第一の報酬は、自分がその正義を実行していると感じることである。」

 これらのルソーの言葉には、真実性とともに、危うさを私は感じます。その通りだと想う一方で、「心の地獄に気づかぬままの悪人もいる」、「悪を正義と思い込み実行している悪人もいる」、鈍い心に満ちているから、ルソーの書くように、「わたしは地上に悪を見ている」のだと思います。

 さらに彼は、神の善性への信仰から次のようにも述べます。
「神はわたしに、善を愛するためには良心を、善のなんたるかを知るためには理性を、善を選ぶためには自由をあたえたのではなかったか。もしもわたしが悪を行なうなら、弁解の余地はない。」
「善行への誘(いざな)いに一度も心をゆだねたことのないほど堕落した人間が、ただのひとりでもこの全地球上にいるとあなたは思うだろうか。」

 これらの言葉に私は親鸞の「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」、(善人でさえ往生することができるのだから、どうして悪人が往生できないはずがあろうか)といい信仰を思います。
 善と悪。人間が人間である限り、信仰とからまりあう問いであり続けるもの。

善と悪。私は、フランクルの『死と愛』、シモーヌ・ヴェイユの主要な著作を思い起こさずにいられません。
 フランクルもヴェイユも、第二次大戦とアウシュビツ収容所に代表される大虐殺の悪のただ中で、「それでも、悪の底の、いちばん底深くに、人間の善性は、ある」、という信念を捨てずに、伝えようとしました。心が刺しぬかれて、忘れることができずにいます。

いまも、心で、人間の魂で、感じとろうとするたび、いたるところ、「わたしは地上に悪を見ている」。それでも、生きようとし続けるのは、この信念だけは私も捨てずにいようと意思しているからだと、思います。

これらのことばのあと次回以降、ルソーは、全地球上の人間をみつめ、信仰についてさらに問いを深めていきます。

● 以下、出典『エミール』第四篇「サヴォワの助任司祭の信仰告白」(平岡昇訳)からの引用です。
(*似通う主題についての言葉をまとるため、前回引用箇所も含め、本文の順序を少し前後させています)。

 わたしが自分の種[人類]のなかでの自分の個人的な位置を知ろうとして、そのさまざまな地位、階級やそれをしめる人びとがながめるとき、わたしはどうなるだろう。(略)わたしは地上に悪を見ているのだ。
 (略)
 どうして来世に地獄を求める必要があろう。地獄はもうこの世から悪人の心のなかにあるのだ。
 (略)
 だれが永遠に生きようと望む者があろうか。死はあなた方が自分にあたえる不幸にたいする救済法なのだ。自然はあなた方が永久に苦しむことのないようにと望んだのだ。
 (略)
 わたしは善人はやがて幸福になるといっておく。そのわけは、善人の創造者、あらゆる正義の創造者が、善人を感じやすい存在につくったけれども、彼らを苦しむようにはつくらなかったからであり、また、善人はこの地上における自分の自由を悪用しなかったがために、みずからの過失によってその目的をあやまることがなかったからである。そうはいっても、彼らはこの世では苦しんだのだ。だから、来世ではそのつぐないをうけるだろう。
 (略)
 そして正義に対する第一の報酬は、自分がその正義を実行していると感じることである。
(略)
神はわたしに、善を愛するためには良心を、善のなんたるかを知るためには理性を、善を選ぶためには自由をあたえたのではなかったか。もしもわたしが悪を行なうなら、弁解の余地はない。自分で望んでいるからこそ、わたしは悪を行なうのだ。
 (略)
 善行への誘(いざな)いに一度も心をゆだねたことのないほど堕落した人間が、ただのひとりでもこの全地球上にいるとあなたは思うだろうか。
 (略)
 神の叡智によって確立され、神の摂理によって維持されている秩序をなにものにもまして愛さなくてはならないこのわたしが、この秩序がわたしのために乱されることを望んだりするだろうか。
(略)
正義と真理との源泉、寛仁で、正善な神! あなたにたいする深い信頼をこめつつ、わたしの心に宿る最高の願いは、どうかあなたの意志が行なわれますように、ということである。あなたの意志にわたしの意志を結びつけることによって、わたしはあなたの行なうことを行ない、あなたの善意に従うのだ。わたしはそのむくいとして最高の幸福にあらかじめあずかれるものと信じている。

出典:『エミール』新装版・世界の大思想2 ルソー(訳・平岡昇、1973年、河出書房新社)

 今回の終わりに私の詩「祈り(1)」をこだまさせます。(作品名をクリックしてお読みいただけます)。

 次回も、ルソーの『エミール』のゆたかな宇宙を感じとっていきます。


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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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