前回は、
私の父が巻き込まれた戦争に感じた思いを記しました。
作家の
崎本恵さん(詩人・神谷恵さん)は、この私の思いと不思議なほど重なる
小説『時の疼(いた)み』を発表されています。
ひとつには、この小説もまた、親不孝な娘が戦争体験をくぐりぬけ生きた父を探し語っていること、もうひとつには、文学者として戦争をどのように書き伝えるかということで、恐ろしいほどに私の心をも語ってくれる小説です。
今回は、
「親不孝な娘が戦争体験をくぐりぬけ生きた父を探し語っていること」についての思いを記します。私もまた親不孝だったからです。
作者・崎本恵は、この小説を発表した
『崎本恵個人文芸誌 ―糾う(あざなう)― 3号』(発行・崎本恵、2008年8月1日)の「あとがき」で、次のように記しています。
今回の作品「時の疼(いた)み」のモチーフは私の父の戦争体験である。父ではなく娘の優子を真ん中にもってきたプロットには多少の逃げがあったかもしれない。
私は逃げでなんかないと思います。優子と私は、父を探す思いのうちに重なることができました。
私の心に強く刻まれた優子の言葉を引用し、続けて私の思いを記します。
☆ 優子の言葉 「私の生まれるはるか以前に戦争があった。父はその戦争で、乳飲み子を抱えた娘を人民抗日軍のゲリラと間違えて捕えてしまった。そのせいで、娘も、彼女の子供も、虫けら以下の扱いで弄ばれ、憲兵隊に殺された。父は、死んだ母子の骨を探し出し、自分の家の新しいお墓に葬りたいと死ぬまで願い続けた。それがせめてもの自分の償いなのだと。」 初めてこの小説を読んだ時、私は
日本という国家と軍隊の、加害者としての顔をきちんと見つめ小説に描かれていることに強い共鳴を感ました。私もずっと考えていることだからです。このことについては、次回より詳しく記します。
そのように感じつつ同時に、私は心に引っ掛かかるものを感じていました。言葉にすると、
「自分を殺した、愛する子供を殺した、人間の心を失った物たちを育てた国家・日本の国土へ、自分が殺されたあと骨となって連れ去られて行きたいなどとは思わない、のではないか?」。
私がそのように考えてしまうのは、このことが次の疑問と重なっているからです。
「原爆で殺された人、骨が何とか消えずに残ったことで、悔恨したアメリカ兵士に連れ帰られ、生まれ育った広島、長崎の地から、遠い憎まずにいられない物(者と言いたくないので物と書きます)たちの暮らしす地で、その物たちの宗教で祈られることは幸せだろうか?」
今読み返して私は思います。わからない。でもこれは作者の問いかけなんだと。著者も戦争体験を抱えた父の届き得ない心の闇に迷い手さぐりし理解しようとしているのだと。
殺された命にとって、過ちを詫び続け、悔い続け、祈り続けてくれる誰かがいてくれることは、どういうことなのだろう?
優れた文学、小説は、問いかけです。真理を主張し押し付けはしません。問いかけへの絶対的な答えは恐らくなく、著者にも、私にも、誰にも、わかりません。問わずにはいられないからこそ、文学が生まれる、のだと思います。
☆ 優子の言葉 「日本人だろうが中国人だろうがアメリカ人だろうが、誰も人間として、犯した罪は償わなければならないと私も思う。死んでいったひとたち、父のように生き残っても尚傷を負ったひとたちにとっては、戦争にいかなる理由があろうと、それは悪以外の何物でもないのだ。それなのに、戦争の教訓は未来へのもので、決して過去を善悪で裁いてはいけないと偉いひとたちは奇麗事を並べ立てる。人間が過去の戦争を教訓にしているのであれば、諍(あらそ)いはこの地上からとっくになくなっているはずだ。でも、いつまで経っても愚かな戦争は終わらない。」 私もこのことについてだけは、憤らずにはいられない、人間です。優子と、作者の崎本さんと重なる思いで。
私は傲慢な政治屋を厭い嫌う思いを、ありのままに吐きかけます。優しい心の人、こんな言葉を吐かずにはいられない弱い私を、許してください。
赤ん坊が、ただ一度限りの命を、生きることができるか、断ち切られるか、そのことにとって、政治的な大義名分、正義の屁理屈など、関係ない。
たとえ、大多数の惑わされた者たちが受け入れてしまった、悲痛な決意であるかのようないかなる理由だろうと、どんなきれいごとの大義名分があろうと、赤ん坊の命を殺すことを赦す大人、そうすることが「国家」「民族」「社会」「大多数の者」のための避けえない選択なのだと自分勝手に思いあがり傲慢に決めつける政治屋は、悪でしかない。私は許せない。そんな文言をあたかも正義かのように演じる奴は、まず自分が特攻して死ね。私はそう思います。
☆ 優子の言葉 「さようなら、父さん。私のたったひとりの父さん。どうか、戦争のない天国で、どうか安らかに眠って下さい」 この言葉は、このまま、私の死んでしまった父への言葉です。私は父が死んでしまったことが、いつまでも悲しいです。
次回は、もうひとつのこと、「文学者として戦争をどのように書き伝えるかということ」についての崎本さんへの共鳴を記します。
出典:
『崎本恵個人文芸誌 ―糾う(あざなう)― 3号』(崎本恵、2008年8月1日発行)。
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いつまで続くかは解りませんが書きたいと思ううちは書き続けるかなと思っています。今年は本当にありがとうございました。