萩原朔太郎の『恋愛名歌集』を通して、日本語の歌の韻律美を知り、より深く聴きとろうと、4回にわたり試みました。初回冒頭に書いたとおり、私は日本語で表現する詩人の一人として、その美しい韻律を作品で響かせたいといつも思っています。考察のまとめとして、「短歌の韻律美を口語自由詩にどのように生かせるか」を私なりに考えます。● 日本語の歌の魅力 まず、各回でみつけた日本語の歌の魅力は次のように、豊かなものでし...
萩原朔太郎の『恋愛名歌集』を通して、日本語の歌の韻律美をより深く聴きとる試みの4回目です。最終の今回はその韻律美を、短歌は総合的な音律構成の織物になっている、という視点で考えます。 朔太郎は、日本語の歌の韻律の特色を「柔軟自由の韻律」であることに、「母音、子音の不規則な―と言うよりも非機械的な配列から、頭韻や脚韻やの自由押韻を構成して、特殊な美しい音律を調べる」ことに、見出しました。 その発見のう...
萩原朔太郎の『恋愛名歌集』を通して、日本語の歌の韻律美をより深く聴きとる試みの3回目です。前回は頭韻や脚韻を考えましたが、今回はより微妙で柔軟自由な自由押韻と、言葉の音色・色調・ニュアンスを感じとりつつ、想(内容)と音象の望ましい関係について考えます。1.微妙で柔軟自由な自由押韻 日本語の韻律美についても頭韻や脚韻は、各句(呼吸)の始りと終りなので、その響き合いはわかりやすく感じます。朔太郎はさら...
萩原朔太郎の『恋愛名歌集』を通して、日本語の歌の韻律美をより深く聴きとる試みの2回目です。前回は音数律、実数律を考えましたが、今回からより微妙な言葉の音色に耳を澄ませます。 日本語の韻文のこの特徴について朔太郎は、「解題一般」で次のようにわかりやすく記しています。 「日本語には建築的、対比的の機械韻律が殆んどなく、その点外国語に比し甚だ貧弱であるけれども、一種特別なる柔軟自由の韻律があり、母音、...
百人一首の韻律美について前回考えたことを受け、萩原朔太郎の『恋愛名歌集』を通して短歌の韻律美を、複数回にわたり感じとっていきます。私は詩人ですが、日本語で表現することでは、和歌、短歌と同じ水流にいるので、受け継がれてきた日本語の歌の本質と特質を学びつつ伝えたいと考えています。 萩原朔太郎は『恋愛名歌集』の序言でまず、広義の韻律とは「言語の魔力的な抑揚や節奏」であり、「詩と韻律とは同字義」との世界...
和歌は黙読されていなかったことは記録から確かです。では和歌がどのように声にのせ歌われてきたのか、私は知りたいと思います。百人一首のカルタで今も詠みあげられる節は清流のようにさらさらとした美しい流れですが、古い時代においては、また違う詠みかたをされていたような気がします。 現代人の感覚では遅すぎるくらいに、大きく呼吸の間をとり、かなりゆったりと詠まれたのではないでしょうか。どのような節がどの程度つ...
私は詩で表現しようとするとき、詩は詩でありたい、と当たり前のことを思っています。 この文章のように、散文でより確かに伝えられることは散文で伝え、詩でしか伝えられないもの、詩だからこそ伝えられるものを、詩で表現しよう、と願っています。 詩で表現しようとするとき、萩原朔太郎の詩についての徹底した思索に、学びとることが多くあります。1935年の「口語歌の韻律に就いて」は、彼自ら「詩語としての口語論」と位置...
私は詩を思うときに、他の芸術、とくに言葉の芸術を意識することが大切だと考えています。萩原朔太郎の考察にはいつも詩歌全体からの視点があり、学ぶことが多いと感じます。 彼の1922年の歌論「歌壇の一大危機」を通して、芸術の存亡とその要因について考えます。 彼は「芸術が亡びる」という言葉で、「能楽の類と同じく、単に「美しき既成芸術」として追憶されるに止まり、それ自身が我我の生活の表現として時代的の意義をも...
萩原朔太郎の『恋愛名歌集』などの歌論と俳論が、『萩原朔太郎全集』(筑摩書房)の第七巻にまとめられています 。彼は詩論『詩の原理』で、言葉の芸術である詩歌を愛する強い思いと独自の思索を書き記しましたが、短歌と俳句それぞれに焦点を絞った考察と提言も残しました。 短歌について歌壇の人々への問いかけと対話には、短歌に留まらず、歌、詩、詩歌を思い創作するうえで私が忘れずにいたいと思う詩歌の根本が語られてい...
萩原朔太郎の詩論にある刺のような、「日本詩と日本詩人(草野心平君への書簡)」について考えます。この文章は、明治初頭の象徴派詩人の蒲原有明についての評論執筆依頼に対して、辞退しその理由を述べたものです。 晩年に近い時期の完全に醒めきった、人間関係への気兼ねもいっさいしない文章です。嘘を言う気はもうなくなった、自分が生きてきた過去さえ、徹底して批判した、目が据わった凄みを感じ、だからこそ現在にも通じ...
萩原朔太郎の詩と詩論を数回にわたって取りあげました。著名ではありましたが彼は生活無能者とされながら詩に生きました。私はそのような朔太郎が好きです。 この「詩で想う」で取りあげる古典、詩人、詩集について、私は書く際に(学術的な細かさ自体に価値を求めるわけではなく)、詩人への礼節と偏向を避けるためと、自分が少しでも深く知りたいから、その詩人のすべては無理でも、できるかぎり主要な詩、評論は必ず読み返し...
萩原朔太郎の詩論を、「詩を想う」で考えました。彼が独自の言葉で浮びあがらせた日本の詩歌、自由詩の本質は、次の言葉に要約されます。 「詩の詩たる真の魅力が、音律美を外にしてあり得ない。」 「自由詩の原理は、日本語の『調べ』という一語の中に尽きる」 「自由詩は、不規則な散文律によって音楽的な魅力をあたえるところの、一種の有機的構成の韻文である。」 「有機的な内部律(調べ)とは、言語の構成される母音と...
萩原朔太郎の詩論『詩の原理』を通して、文学、散文、詩、日本の詩歌を見つめ直しています。今回は、「第十三章 日本詩壇の現状 1、2」での自由詩についての考察を取り上げます。冒頭に私が教えられたこと、感じ考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 初めに朔太郎は、日本語による長篇韻文としての自由詩が生まれた軌跡を振り返ります。 「新体詩」からの模索を通して「七五調が破格を生み...
萩原朔太郎の詩論『詩の原理』を通して、文学、散文、詩、日本の詩歌を見つめ直しています。今回は、「第十二章 日本詩歌の特色」についての続きです。冒頭に私が教えられたこと、感じ考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 初めに朔太郎は、詩の言葉としての日本語について、「日本語には平仄もなくアクセントもない」から、その「音律的骨骼は、語の音数を組み合す外にない」と、日本語を話し...
「詩を想う」の「萩原朔太郎『詩の原理』(二)有機的な内部律(調べ)」に記した古代歌謡の、非定型な無韻の詩のうち、私がいちばん好きな『古事記』の恋愛詩を、愛(かな)しい詩歌に咲かせます。 日本の詩の歴史の初めに、『古事記』、『日本書紀』の記紀歌謡、美しい抒情詩《リリック》があることを、私は嬉しく思います。五七調が主流となる前の、無韻素朴の自由詩です。出典は、『古典日本文学1』(筑摩書房、1978年)の...
萩原朔太郎の詩論『詩の原理』を通して、文学、散文、詩、日本の詩歌を見つめ直しています。今回は、「第十二章 日本詩歌の特色」での、詩の言葉の美しさについての深い考察を取り上げます。 冒頭に私が教えられたこと、感じ考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 初めに朔太郎は、西洋の詩がギリシャの叙事詩から始まったのと異なり、「日本の詩の歴史は、古事記、日本書紀等に現われた抒情詩...
萩原朔太郎が試行錯誤のすえにとりまとめた『詩の原理』は、彼の詩論の集大成であるとともに、文学、散文、詩、日本の詩歌を考え味わううえで本質的なことを教えてくれます。数回にわたり、その要旨を読み返しながら、私が教えられたこと、考えたことを記します。各回とも、冒頭に私の言葉を記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 初回は、「第三章描写と情象」、「第十一章 詩に於ける逆説精神 2」にある...
前回に続き、萩原朔太郎の詩論を通して、詩って本当は何なのか、考えます。冒頭に私が朔太郎の言葉に学び共感し考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 萩原朔太郎は、詩集『青猫』の付録として「自由詩のリズムに就て」を発表しています。『青猫』とそれに続く『蝶を夢む』が朔太郎の詩の中で私はいちばん好きです。彼が切り開いた口語自由詩の魅力と可能性を今なお伝え教えてくれる詩作品として...
今回から複数回にわたり、詩人・萩原朔太郎の詩論、詩歌についての思いについて、その要点を抽出し、考えたいと思います。詩歌を深く愛し、言葉・歌について深く考え、心に響く詩を作った朔太郎に私は、多くのことを学びました。 各回とも冒頭に私が朔太郎の言葉に学び共感し考えたことを記し、その後に朔太郎の言葉の原文を区分して引用します。 初回は、詩集『月に吠える』の序での、朔太郎の詩についての宣言です。 私が愛...