私は詩で表現しようとするとき、詩は詩でありたい、と当たり前のことを思っています。
この文章のように、散文でより確かに伝えられることは散文で伝え、
詩でしか伝えられないもの、詩だからこそ伝えられるものを、詩で表現しよう、と願っています。
詩で表現しようとするとき、
萩原朔太郎の詩についての徹底した思索に、学びとることが多くあります。
1935年の
「口語歌の韻律に就いて」は、彼自ら
「詩語としての口語論」と位置づける歌論ですが、彼が終生抱き続けた
「詩とは何か」という問題意識に根ざした優れた考察です。
朔太郎は、
「詩としての必然すべき韻律性」にこだわります。なぜなら、詩歌は
「歌ふための文学」であり散文ではないからです、当たり前だけれど、とても根本的なことだと私は考えます。
彼は自らの詩の創作で、
「韻文的感銘」を表現しようと苦闘しました。
「口語の欠点は抑揚のないことである。」と、表現の手段としての口語を捉えなおし、
「出来るだけ言葉に抑揚をつけるやうに苦心」し、創作しました。
朔太郎のこの考察を今読むと当たり前に思えるかもしれません。いづれも詩人が実際に創作している際には、(強弱はあっても)無意識に行っていることです。でも最初に考え、見つけだし、言葉にするのはとても難しいことです。
朔太郎は次のように、とても重要なことを教えてくれます。
☆印に続け私なりの若干のコメントを加えます。
●歌及び一般に詩の構成される韻律(即ち音響要素)が、日本語の場合に於ても、単なる音数律をの配列だけでは、決して簡単に成立されない。☆日本の詩の韻律は、語数律だけではない、という再発見です。
●音楽美、即ち韻律そのものが歌の内容として読者を感動させるのである。☆なぜ散文で表現できないか、その根本理由です。
●重要なものは、言葉に調子をつけるハズミであり、抑揚をつけるメリハリである。☆例えば、高村光太郎の詩では、気迫のように感じるものです。
●日本の詩歌に音数律の格調が約束される自然原理も、つまり七五調や五七調が、さうした日本語の節奏美を、自然に都合よく導くからに外ならない。☆日本語を母国語とする人が自然に身につけている言葉のリズム感です。
●句の始まりで(略)自然にアクセントがついて居る。各句の初音は(略)浪のやうに盛り上つて居る。
(略)一句の中で、部分的に言葉の切れる所(略)切目の所に、おのづからまた一種の抑揚、即ちアクセントが感じられる。☆日本語ではとても微妙で弱いけれども、詩の言葉にあらわれる抑揚です。
●かく口語が散文的に感じられるのは、その言語の構成上に、助辞の「は」といふ如き説明を入れるからである。
この説明を入れるために、全体の文章が重苦しく単調となり、言葉の緊張したハズミや弾力、即ち韻律美を失つてしまふのである。言語は説明的であるほど詩的表現から遠ざかつてくる。☆口語で詩を書く難しさがどこにあるのか、その発見です。
●或る人々は歌や自由詩を散文化し、むしろ散文形態の中にポエヂイを建設せよと主張して居る。しかし真の詩の精神(ポエヂイ)そのものが、韻文以外に表現を持たないのは明白である。散文形態で書いたものは、それ自体が散文精神であってポエヂイではない。☆本質的な韻文が何かという、次の言葉と合わせて考える必要があります。
●韻文に必要なものは、快美な自然的な抑揚と節奏であつて、単なる数理的な公式格調ではない。
一定の公式的韻律は持たないでも、読者に甘美な節奏と音楽を感じさせるものは、本質上の意味に於ての詩、即ち韻文なのである。☆この言葉を理解し受け容れる人が、詩でしか伝えられないものがあることを、感じとれる人だと思います。
伝えたい思い、伝えたい事柄に、このこだわりが必要ない場合には、散文で説明すればよい、と私は考えます。
このように、萩原朔太郎は、「口語の新しい韻文を創造しようとする人々」の先駆者と自認し、「口語詩としては多少の音楽的要素」を自らの作品で奏でたと矜持を持ち続けました。その自負が嘘でないことは、彼の詩そのもの、詩の響きから、感じとることができます。(朔太郎が言葉の音楽を強く意識して創作した詩を「
詩の音楽2作品。萩原朔太郎」で紹介しています。)
彼がこの歌論を書いてから80年近くになります。今ある口語詩は豊かに韻文的感銘を与えてくれるでしょうか。
私の詩は、韻文としての音楽美を響かせているでしょうか、いつも自問しつつ、私は創作しています。
◎以下、朔太郎の原文です。 (略)定型詩のように節をつけて、朗吟調に読む必要はない。普通に西洋人が詩を読むように、朗読してみれば好いのである。もし文学の本質上に、何らかの韻律的構成があるとすれば、必ずそこに一種の調子が感じられ、言葉の抑揚する節奏から快美な音楽的陶酔がかんじられるわけである。(略)
日本現代の口語が「歌ふための要素」に欠乏して居るのである。(略)
今日多くの人々に誤解されているところの、韻律に関する一の重要な問題を語りたい。
注意すべきことは、歌及び一般に詩の構成される韻律(即ち音響要素)が、日本語の場合に於ても、単なる音数律をの配列だけでは、決して簡単に成立されないといふ事である。
たとへば短歌の格調は5・7・5・7・7の音数律を基本にするが、単に言語をその公式にはめただけでは、決して必ずしも韻文としての音楽美は構成されない。
高所から跳びおりるやうな気持で一生を送る法はないだらうか
これは石川啄木の歌を、(略)口語短歌に直したのである。多少の変則はあるが、やはり大体に於て短歌の音数律を守って居る。しかも、本質的に韻文としての要素(抑揚や節奏)がなく、純粋に平坦な一本調子の散文である。試みにこれを啄木の原歌
「高きより跳びおりる如き心もてこの一生を終るすべなきか」
と比較してみよ。啄木の原歌の方には明白に一種の節奏があり、高い調子の悲痛な音楽美がある。そして最も肝心なことは 、この悲痛な音楽美、即ち韻律そのものが歌の内容として読者を感動させるのである。
そこで啄木の歌からこの韻律を覗いてしまった前例の口語短歌には実際に何の詩的内容も残って居ない。即ちそれは「詩」でなくして「散文」なのだ。ここに文学の重大な常識がある。
韻文としての構成は決して音数律の形態ばかりでは成立しない、重要なものは、言葉に調子をつけるハズミであり、抑揚を つけるメリハリである。日本の詩歌に音数律の格調が約束される自然原理も、つまり七五調や五七調が、さうした日本語の節奏美を、自然に都合 よく導くからに外ならない。(略)
文章語を用ゐる場合は、単に七五調や和歌の格調に語数を合せて作るだけで、自然におのづから抑揚のある言葉が生れ 、内容の如何によらず、形式だけは必ず音楽感のある韻文が出来上がつてくる。この事実を前の例で説明しよう。
○高き●より○跳びおりる●如き○心もて○この●一生を○終る●すべ●なきか
○印の所は句の始まりで、此所は自然にアクセントがついて居る。各句の初音は、前を受けて此所で浪のやうに盛り上つて居る。
●印は一句の中で、部分的に言葉の切れる所である。例へば「高きより」は、高き(三音)と より(二音)とから構成されて ゐる。そしてこの●印の切目の所に、おのづからまた一種の抑揚、即ちアクセントが感じられる。(略)
口語短歌の方には、殆んど全くかうしたメリハリの抑揚がなく、始から終まで無変化な一本調子であることがよく解る。したがつてそれが韻文として感じられずに、散文として読まれる原因も解つてくるし、また本質上に於て詩的感動を所有しない理由も解つてくる。
日本人此所にあり(文章語)
日本人は此所に居る(口語)
(略)前者は「韻文的」「主情的」であつて、後者は「散文的」「説明的」である。
かく口語が散文的に感じられるのは、その言語の構成上に、助辞の「は」といふ如き説明を入れるからである。この説明を入れるために、全体の文章が重苦しく単調となり、言葉の緊張したハズミや弾力、即ち韻律美を失つてしまふのである。
文章語の方では「此所にあり」の「此所」に抑揚のアクセントがつくけれども、口語にはそれがない(略)。
鳥には巣あり、狐には穴あり。されど人の子は枕する所なし。(文章語)
鳥には巣がある。狐には穴がある。けれども人の子は枕をする所がない。(口語)
前と同じく、この例でもまた口語の方には、巣がの「が」 穴がの「が」 枕をするの「を」等、説明のための助辞が使用されてゐる。そのため文章がプロゼツクになり、調子がだらけて節奏上の音楽美を失つて居る。(略)
言語は説明的であるほど詩的表現から遠ざかつてくる。
或る人々は歌や自由詩を散文化し、むしろ散文形態の中にポエヂイを建設せよと主張して居る。しかし真の詩の精神(ポエヂイ)そのものが、韻文以外に表現を持たないのは明白である。散文形態で書いたものは、それ自体が散文精神であってポエヂイではない。
如何にして口語を芸術化し、新しい韻文を構成すべきだらうか。
音数律の格調的構成にのみ捉れて居て、韻文の最も根本的な本質問題、即ち言語の自然的な音楽性について思惟しない のである。(略)
韻文に必要なものは、快美な自然的な抑揚と節奏であつて、単なる数理的な公式格調ではない。
一定の公式的韻律は持たないでも、読者に甘美な節奏と音楽を感じさせるものは、本質上の意味に於ての詩、即ち韻文なのである。
今の日本の口語が、本来韻文に適しないことを自覚して、しかもこれで詩歌を作ろうと意志する人は英雄(新文化への犠牲的建設者)である。
出典:「口語歌の韻律に就いて」、『萩原朔太郎全集 第七巻』(1976年、筑摩書房) (*字体のみ新字体に変え、読みやすいよう改行をふやしました。)
底本:『日本歌人』1935年(昭和10年)4月号。
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