ツイートした詩想の、落穂拾いです。 *「源氏物語」の「若菜」で千年ほど前の猫の声を紫式部が教えてくれました。「ねうねう、といとらうたげに鳴けば、」(ねうねう、ととてもかわいく鳴けば、) *わたし個人の好みにすぎないかもしれませんが、「源氏物語」はきらびやかな栄華のめくるめく前半から、後半へ、宇治十帖へと流れてゆくほど、人間のこころと感受性の川の流れが、広がり深まってゆくように、秋の夕空のように、...
ツイートした詩想の、落穂拾いです。*いま読書しているのは最初期の原始仏典「スッタニパータ」です。ブッタは約2500年前この星に生きていた、人間だった、ということを強く感じます。後の時代に神格化されましたが、彼の言葉にとても人間らしさを感じ、励まされます。*本当に読みたいものから、ものを読もうという気持ちが強く、「源氏物語」、千年前から流れる時間をさまよっています。原文には紫式部の声、息づかいが聞こえます...
『紫式部集』から彼女らしさを感じる歌を選び出しました。 ゆたかな歌物語『源氏物語』に織り込められた創作歌794首は除いた、彼女の自選だとみなされている、約百数十首の私家集です。ここには七首のみ選びましたが、彼女の歌の特徴が現れていると思います。 彼女の和歌は、まっすぐです。ストレートに思いを綴っています。心のみ見つめた内省そのものの歌もあります。 基調音は悲哀の情感です。いのちの憂さと悲しみに揺れ...
前回に続き『紫式部日記』を通して『源氏物語』の作者の千年前の思いのうち、私の心を波立たせてくれた彼女の吐息にふれます。 はじめの引用箇所は、この日記のなかで、彼女が自分自身を省みた思いを書き記されているところです。紫式部の日記を読むと、宮廷でのできごとを書く場合にでも、最後には自分自身にひきよせて考える、とても内省的な魅力ある女性ですが、その心をみつめる姿が浮び上がっています。考える前に、考える...
気の向くままの寄り道です。今回と次回は『紫式部日記』を通して『源氏物語』の作者の千年前の思いのうち、私の心を波立たせてくれた彼女の吐息にふれます。 今回は紫式部が和泉式部の和歌について記した個所です。次の言葉が私にはとれも印象的でした。 「口から出るにまかせたあれこれの歌に、必ず魅力のある一点で、目にとまるものが詠みそえてあります。」 「実にうまく歌がつい口に出てくるのであろうと、思われるたち...
詩歌と歌謡の交わりを考えています。前回とりあげた神楽歌は主に宮廷儀礼で謡われましたが、そこからあふれでてひろく謡われた流行唄(はやりうた)が催馬楽(さいばら)です。 私が今回言いたいのは、紫式部は流行歌も好きだった、という一点です。 まず、『源氏物語』に登場している二曲を引用して催馬楽に触れてみます。◎引用1貫河(ぬきかは)貫河の瀬々(せぜ)の やはら手枕(たまくら) やはらかに 寝(ぬ)る夜(...
ひとりの詩人として私なりの感性で、『源氏物語』を「蛍」の巻の物語論を通して、読み取り感じ取ろうとしました。 汲み尽くせないほど豊かなこの物語を、本居宣長(もとおりのりなが)は二百数十年前にこよなく愛しその本質に迫りました。彼の著述を通して、さらにこの美しい絵巻についての思いを深めたいと思います。 彼は67歳で『源氏物語玉の小櫛(げんじものがたりたまのおぐし)』としてこの物語論を集大成しまとめました。...
『源氏物語』に私が惹かれるのは、匂やかな女性たちの息づかいがたゆたっているからですが、その世界に咲いている草花や草木に触れられその呼気に包まれ癒される思いになるのも、繰り返しその森を訪れたくなる理由のひとつだと感じています。 紫式部の原文の語り口には、眺めやるまなざしの掌と指で、草花や草木を愛で撫でているうごきを感じます。草花や草木がとても好きと、紫式部の声が響いています。 物語に息づく花と女性...
◎物語の誇張と方便 紫式部は、物語には「誇張」が本質的に必要なものだと意識して創作したことが次の言葉からわかります。「不自然な誇張がしてあると思いながらつり込まれてしまうこともある」「よいことを言おうとすればあくまで誇張してよいことずくめのことを書くし、また一方を引き立てるためには一方のことを極端に悪いことずくめに書く。全然架空のことではなくて、人間のだれにもある美点と欠点が盛られてい るものが小説...
◎物語と本当の歴史 紫式部の次の言葉には、彼女の物語の創作者としての誇りを感じます。物語だからこそできること、物語でなければできないことを、彼女が深く理解し創作したことが伝わってきます。「神代以来この世であったことが、日本紀(にほんぎ)などはその一部分に過ぎなくて、小説のほうに正確な歴史が残っている」「だれの伝記とあらわに言ってなくても、善いこと、悪いことを目撃した人が、見ても見飽かぬ美しいことや...
◎物語の虚構性と真実 紫式部は、物語の虚構性と言葉の真実性の関係について、深く理解していたと、私は次の言葉に感じました。 以下紫文字は、与謝野晶子訳『源氏物語』「蛍」の巻の該当箇所の原文引用です。「ほんとうの語られているところは少ししかないのだろうが、それを承知で夢中になって作中へ同化させられる」「嘘ごとの中にほんとうのことらしく書かれてあるところを見ては、小説であると知りながら興奮をさせられます...
◎『源氏物語』に思う 紫式部は『伊勢物語』の清流をうけ、『源氏物語』という豊かな川、文学の海に注ぎ込み輝き続ける大河を生み出しました。正直に告白しますと、私が『源氏物語』全巻を通読できたのは今回が初めてです。与謝野晶子の全訳で読みました。これまで10代、20代の時から「文学が好きなら読み切らないと恥ずかしい、読み切りたい」と思いつつ、有名な巻のつまみ食いと、前半まででの中断挫折で終わっていました。 今...