Entries

広島。原爆。人間の、怒りと祈りの詩。

 1945年8月6日。アメリカが原子爆弾を投下したとき、広島の町では、ひとが生き、生活していました。  無言で亡くなっていった方、こころとからだに深い傷を負わされた方、ひとりひとりのひとを、命をみつめ、語りかけ、思いやり、思いをともにしようと懸命に、歌い、伝えてくれた詩人の詩を読み返すことは、苦しくてもとても大切です。 怒り、祈りを、忘れず、願いへと、これから結んでいくためには。 ひとりひとりのひとには...

詩と、終戦であり続けさせること

 戦争を通して国や組織は、普通に生活している人を加害者にも被害者にもしてしまいます。そのような状況に個人の力では抗えずに巻き込まれてしまうということでは、開戦という最悪の選択しかできず、他の方策で踏みとどめえなかった無能で傲慢な一握りの為政者と軍人をのぞいた、ひとりひとりの市民、生活者は被害者です。 愚かな戦争を繰り返さないために、繰り返させないために、私も私にできうることをしたいと願っています。...

絶望と祈り。原民喜

 私が原民喜に惹かれるのは、詩人、作家として心から敬愛し、また感性に似通うものをかんじるからですが、他の影響もあります。 そのひとつは、母の故郷が島根県の広島県との県境に近い中国山地の真ん中なので、幼年期に広島を経由して汽車の旅をした夏休みの思い出です。 広島に原爆が落ちた日、その雲を見たと叔父に聞きました。原爆ドームを何度も見ました。祖母も母もあの時原爆のすぐ隣にいたことは心から離れません。 も...

原民喜『鎮魂歌』

 私は詩は感動だと思っています。喜び、悲しみに、心を打たれ、言葉と共に心ふるわせ生きる時間だと思っています。愛しあう喜びの歌が心から好きですが、いのちのありのままの顔かたちをみつめる歌にも心ふるえます。 私が創作に生きようと思い定めながら苦しく彷徨っていた時、私にとっての導きの星は、原民喜の『鎮魂歌』でした。彼のこの作品は、ふつう思われている小説の形、詩の形からもはみ出しているけれど、私にとって今...

『長崎の鐘』と原民喜

 長崎の被爆の惨状と命を助けようとする医師の格闘を描き伝える、永井隆の『長崎の鐘』に、わたしもまた強く心を打たれた一人です。 永井隆の命をかけた言葉が伝わることを、原民喜も強く願いました。二人の言葉、祈りを心に刻み、忘れずに生きたいと私は願います。永井隆「原子野に泣く浦上人は世界にむかつて叫ぶ、戦争をやめよ。」原民喜「恐ろしいのは多くの人々がまだ原子力の惨禍をほんとに鋭く感じとることが出来ないとい...

原民喜。悲しみと祈りの詩

 原民喜の詩から、私がとても好きな詩7篇をここに咲かせます。 心に響き、心打たれ、あらわれる思いにつつまれる美しい詩です。彼のこれらの詩は、わたしにとっての詩の、ある理想の姿です。私の心に刺さり忘れらずいつか心の一部となった詩句が愛しく光りかけてくれます。 1945年8月6日ヒロシマの人たちとともに曝された惨劇を彼は、『原爆小景』の「コレガ人間ナノデス」、「水ヲ下サイ」などの連作詩として描き留め伝えまし...

Appendix

プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

最新記事