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芸術として亡びるということ。萩原朔太郎

 私は詩を思うときに、他の芸術、とくに言葉の芸術を意識することが大切だと考えています。萩原朔太郎の考察にはいつも詩歌全体からの視点があり、学ぶことが多いと感じます。
 彼の1922年の歌論「歌壇の一大危機」を通して、芸術の存亡とその要因について考えます。

 彼は「芸術が亡びる」という言葉で、「能楽の類と同じく、単に「美しき既成芸術」として追憶されるに止まり、それ自身が我我の生活の表現として時代的の意義をもつことは無」い状態になること、と捉えます。
 例えばその定義でみると漢詩は、「芸術として亡びた」のではないでしょうか。
和歌と交互に、時には並列に、長い時を越え創作されてきた漢詩がどうして「芸術として亡び」てしまったのか。
 漢詩は明治の新体詩に置き換えられ、口語自由詩にのみ込まれたのか? なぜだろう? 
 要因の一つには教育の変化があると思います。より深い要因は、朔太郎の次の言葉にあると私は考えます。
「すべて時代の新しい空気と交渉のない芸術は亡びてしまふ。」
「その形式の古さにもかかはらず、その内容に於て絶えず新しい時代の感情を取り入れ」ることが、できなかったから、だと。

 朔太郎は、俳句もまた亡びた、と捉えます。「生活の表現として時代的の意義をもつことは無」くなった、と 。私は俳句について勉強不足ですが、これまで深く入り込めなかった要因に、「この趣味は、漸やく我々の生活から没交渉となりつつある」と感じていたことがあるのは、確かだと思います。(過去の作品を否定しているのではありません。)

 では、短歌はどうだろう? 
 朔太郎がこの歌論で探ったこの主題は、現在の短歌、そして私が表現方法として選んでいる口語の自由詩について、考えずにいられないものです。
 口語自由詩は亡びかけているだろうか? 
 芸術として亡びるかどうか、その最後の岐路は、「その内容に於て絶えず新しい時代の感情を取り入れてゐるか」どうか、にかかっていると私も考えます。

 「新しい時代の感情」という言葉で彼が表現しているのは、その時々の流行の「なんとかイズム」、主義、党派、芸術流派ではありません。その時代に生きている人間の感情、思考、心の底、悲哀、喜び、理想、絶望を、言葉の手ざわり、肌ざわり、体温のこもる声にして、言葉をふるわせているかどうか、その響きが伝えあえるものかどうか、ということです。

 20世紀のなかばから現在まで、口語自由詩を愛する人の間で、それがまったくできなかったとは私は感じません。「時代の感情」を伝えてくれる良い詩歌、愛する口語自由詩があります。
 だから口語自由詩はまだ「芸術として亡び」てはいない、と私は思います。
 ではこれからは?
 これからは、詩を大切に思う一人一人が、その一人である私が、創っていくもの。この文章に目をとめてくださるあなたもその一人、だから、口語自由詩は「芸術として亡び」ない、そうしたいと願います。

◎以下が、朔太郎の原文です。

 今日、次第に俳句趣味は我々の間に忘れられて行きつつある。かつてはそれが生命的に感じられたものが、今日では次第に風流韻事の物好きらしく感じられる。(略)
 そして俳句趣味なるものは―即ち俳句の美感(リズム)なるものは―もはや新時代の青年には理解されない。つまりこの趣味は、漸やく我々の生活から没交渉となりつつあるのである。
 も一つの例は「宮内省を中心とするお歌所派の和歌」である。(略)実際、宮内省派の和歌は、今日の文壇や思潮界に何の交渉も持つて居ない。(略)

 かくの如く、すべて時代の新しい空気と交渉のない芸術は亡びてしまふ。人心は絶えず動き生活は絶えず変化する。さればその表現である芸術も之れにつれて革新される筈だ。もし芸術にして時流と伴はず、いつも古ながらの境地に止まつてゐるならば、そは次第に思潮界の中心から遠ざかつて行き、遂には今日の俳壇や宮内省派の和歌の如く、一般文壇から閑却され、ただ彼等仲間内での「楽屋評判」「楽屋名声」の小天地にちぢかんでしまふことになる。そしてかくの如くば、事実上に於てその芸術は亡びたのである。

 思ふに歌壇の人々が言ふ「実質上の向上」なるものも、(略)或る一つの限られた狭い趣味の範囲内に於て、部分的の技巧や着想の変化と進歩とを求めているのではないか。言ひ代へれば「楽屋落ちの喝采」を目標とする機智的な美に走って居るのではないか。(略)ただその同臭中での小技巧や小着想を争つて何になる。それで個性の光が出ると思ふか。

 古いものは古きが故に新しい。(略)けれどもその「古いもの」が新しいためには、そこに新しい時代的の背景を持たねばならぬ。何かしらそこに「時代の感情」と触れるものがなければならぬ。「古さの故の新しさ」を感じさせねばならぬ。

 明治以来、いかにして歌が我々の生活に帰つて来たか。(略)小説も戯曲も、絵画も、音楽も、全然ぞの面目を一新した。就中叙情詩は此所に根本の革命を要求した。即ち一方からは西洋の長詩が輸入され、そして一方からは新派和歌が創造された。(略)
 もしそこで新派和歌の新興されることがなかつたならば―即ちこの伝来の古い詩形に、新時代の感情を盛ることを知らなかつたならば―既に久しき以前に於て和歌は廃滅に帰してしまつたであらう。あだかもかの能楽の類と同じく、単に「美しき既成芸術」として追憶されるに止まり、それ自身が我我の生活の表現として時代的の意義をもつことは無かつたであらう。(略)

 そもそも短歌の如き古き歴史を有する芸術が、今日尚依然として新時代の文壇に特殊の地位を占めてゐる所由は、その形式の古さにもかかはらず、その内容に於て絶えず新しい時代の感情を取り入れてゐるからである。もし短歌にして内容的に時代遅れとならんか、そはもはやこの愛すべき芸術の末路である。

出典:「歌壇の一大危機」、『萩原朔太郎全集 第七巻』(1976年、筑摩書房)
    (*字体のみ新字体に変え、読みやすいよう改行をふやしました。)
底本:『秦皮』1922年(大正11年)8月号

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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