「詩を想う」の
「萩原朔太郎『詩の原理』(二)有機的な内部律(調べ)」に記した
古代歌謡の、非定型な無韻の詩のうち、私がいちばん好きな
『古事記』の恋愛詩を、愛(かな)しい詩歌に咲かせます。
日本の詩の歴史の初めに、
『古事記』、『日本書紀』の記紀歌謡、美しい抒情詩《リリック》があることを、私は嬉しく思います。五七調が主流となる前の、無韻素朴の自由詩です。
出典は、
『古典日本文学1』(筑摩書房、1978年)の「古代歌謡」(福永武彦訳)にある、古事記歌謡(198~199頁)です。
詩句に続けて、( )内に音読みをひらがなで、そして非定型な無韻素朴の自由詩だとわかるよう、詩句ごとの音数律を記しました。
八千矛の 神の命 (やちほこの かみのみこと) (5 6)
萎え草の 女にしあれば (ぬえくさの めにしあれば) (5 6)
我が心 浦渚の鳥そ (わがこころ うらすのとりそ) (5 7)
今こそは 我鳥にあらめ (いまこそは わどりにあらめ) (5 7)
後は 汝鳥にあらむを (のちは などりにあらむを) (3 8)
命は な死せたまひそ (いのちは なしせたまひそ) (4 7)
いしたふや 海人駈使 (いしたふや あまはせづかひ) (5 7)
事の 語り事も こをば (ことの かたりごとも こをば) (3 6 3)
青山に 日が隠らば (あをやまに ひがかくらば) (5 6)
ぬばたまの 夜は出でなむ (ぬばたまの よはいでなむ) (5 6)
朝日の 笑み栄え来て (あさひの ゑみさかえきて) (4 7)
栲綱の 白き腕 (たくづのの しろきただむき) (5 7)
沫雪の 若やる胸を (あわゆきの わかやるむねを) (5 7)
素手抱き 手抱き抜がり (そだたき ただきまながり) (4 7)
真玉手 玉手さし枕き (またまで たまでさしまき) (4 7)
股長に 寝は寝さむを (ももながに いはなさむを) (5 6)
あやに な恋ひ聞こし (あやに なこひきこし) (3 6)
八千矛の 神の命 (やちほこの かみのみこと) (5 6)
事の 語り事も こをば (ことの かたりごとも こをば) (3 6 3)
(訳文)
八千矛の名前を持つ、尊い神の命(みこと)は、そのようにおおせられますけれども、
私は風に吹かれてそよぐ、草のような処女(おとめ)にすぎません。
あなたがお呼びになったところで、どうして出て逢われましょうか。
私の心は、浦の渚に住む鳥でございます。
今は私の心のままにしておりますが、
いつかはあなたに抱かれる鳥となるのでございますから、
この恋のために、ゆめお命をお捨てになってはなりません。
水底わたる海人部(あまべ)の駈使 (はせづかい)である私が、
事の次第を語り伝えること、かくのとおりでございます。
青山に太陽が隠れ、射玉(ひおうぎ)の実のように黒い夜ともなれば、
戸を開いてあなたをお迎えいたしましょう。
朝日が華かに射し込むように、あなたは嬉しげな笑顔を見せてお出でになり、
栲(たく)の川の緒綱(おづな)のように白い腕(かいな)で、
泡雪のようにやわらかな、私の若々しい胸を、
抱きしめ抱きしめて、
玉のようなあなたの手と、玉のような私の手とを、互いに取り合い枕として、
足を長くうち延ばして、安らかに寝ましょうものを。
どうぞそんなに夢中になって、私を恋い焦れないで下さいまし。
八千矛の名前を持つ、尊い神の命(みこと)よ。
事の次第の語り伝えは、かくのとおりでございます。
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