いま詩を創り書く人は同じ一人として好きだけれど、いわゆる現代詩を標榜してきた人たちは商業主義的にセクト化した政治イチミに似たアクが強すぎ好きになれない。思想家、詩人とされる吉本隆明の韻律論争での岡井隆に対しての罵りは酷くぞっとした。政治屋モノマネの罵倒に鈍感な者が詩を語れるか?率直に吉本隆明の「初期歌謡論」は、古代詩歌、古代歌謡を商業用コピーライトとして悪用した、でたらめな駄作にしか、わたしには読...
韻律がきれい、美しいと、感動をよびおこし、はっきりとまたは潜在的に、こころの耳をくすぐりゆたかなよろこびを生みだせないのは、言葉の芸術、詩歌としての、最低限のレベルに届けていないのだとわたしは思います。はっきりと誰にでもわかりやすい定型押韻として、期待され繰り返し遂げられる誓約遵守の脚韻のあきらかな快い音の響きあう喜びは日本語の詩歌には表面的にはあらわれず感受しがたいのは、韻律の美の極みのありかが...
ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩作品を公開しました。詩 「儚い遥かな花」 (長詩)詩 「待ち望まれ」 (短詩)☆ 詩集です。...
実用言語、ビジネス言語、多国籍意思疎通言語としての英語米語は生活に有用で活用すれば役立つけれどそれはそれ。言語芸術の美は次元が別。音楽、ポップではリズムと強弱で凡庸を隠せても日本語の詩歌を美しく心に響くものとしつづける詩歌の創造の世界は日本語そのものを感じ響かせ奏でることが生命。FMラジオで洋楽番組を聞き始めたころDJが流ちょうな英語を交えながら、英語的なクセにゆがんだ発音の日本語を話すのが印象的だっ...
日本語詩とフランス語詩は強弱抑揚がとても弱いので、母音の諧音・ハーモニー・響あいを、美しく聴きとりやすい。子音も同じように。英語詩とドイツ語詩は強弱メリハリが強くリズムが核のため母音の響あいは脚韻以外は弱い。子音のほうがまだ響きあう。戦後の日本語は、戦後現代詩も、戦勝国の英米語の氾濫にさらされ受容したので、日本語と美質のちがう!リズム本位の英語を真似ようとして、諧調、母音、子音の、諧調、響あいの感...
戦後現代詩の足どりと代表作とされる詩を取りあげた本を久しぶりに読みましたが好きにはなれませんでした。詩も和歌も俳句もつまらない流派組織会社商売の宣伝コピーではないのだから枠のヨイショを外してもしなびることのない、好きと感じ響く作品と作者を大切にし続けたいとあらためて思いました。定型音数律歌はきれいなのだからきれいに響いてくると感じつづけられるかぎり、定型音数律でありつづけるし、ありつづければいい。...
ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩作品を公開しました。詩 「美ゆき銀河のための、詩旋律」 (長詩)☆ 詩集です。...
ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩作品を公開しました。詩 「星ホタル」 (短詩)詩 「旋律」 (短詩)詩 「みひらかれた、ページの」 (短詩)☆ 詩集です。...
わたしは詩歌、詩、和歌が好きなので、また創作者としての感受性も深めたくて、いろんな朗読を聞きます。万葉集、和歌、フランス詩、ドイツ語詩、英詩、中国語詩、韓国語詩などの朗読を、聴き返し、感じています。詩の韻律、詩の音楽は、黙読したときにもっとも美しいのではないか、と。ウェブで、萩原朔太郎、与謝野晶子、書き手自身の自作朗読を聴くことができました。ともに、詩人、歌人として、もっとも美しい韻律の詩と短歌の...
日本語の詩、和歌、短歌、俳句の、定型、韻律について、赤羽淑の読み取りと考察がもっとも優れていると私は創作者として感じ思います。詩歌にとってもっともたいせつなものが記されています。著書を読み返して、気づいていなかったことを、またあらたに感じとれました。赤羽淑 著書『藤原定家の歌風』桜楓(おうふう)社、『定家の歌一首』同、「和歌の韻律」『論集 和歌とレトリック』笠間書院、所収。『リズムの美学-日中詩歌...
詩論家として極め立つことを意思するよりも、実作者に徹することがわたしにもっともできること、したいこと、意思することであるので、論考としての厳密さの探求にはのめり込まず韻律について見出せたことと、書き手読み手としてのこだわりを、感性表現の姿で記しました。・日本語の詩の韻律は音数律のみという断言はとても貧しい・音数律のリズムと韻律音色の溶けった音楽旋律・短歌和歌を三十一の単音リズムの組み立て模型とみる...
ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩作品を公開しました。詩 「星座を」 (短詩)詩 「枯れ枝」 (短詩)詩 「あの戦争の」 (短詩)詩 「泣きながら」 (短詩)☆新しい詩集です。...
ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩作品を公開しました。詩 「悲しみは」 (短詩)詩 「地平線」 (短詩)詩 「戦わない」 (短詩)詩 「忘れへん」 (短詩)☆新しい詩集です。...