星の詩についてエッセイを記した心の流れから、冬の夜空に輝く星座のように美しい、思い入れのある
一枚の絵画『オリオン』について書きたいと思いました。
私の
第一詩集『死と生の交わり』の手持ち本は一冊だけなのですが、その扉に
深井克美の絵画『オリオン』のコピーを今も挿んでいます。
美術評論家の
坂崎乙郎が深井克美とその絵画を教えてくださり、その著書に掲載されていた白黒写真を拡大コピーしたものです。(余談になりますが坂崎乙郎は私の短い大学生活でほとんど唯一惹き込まれた講義、絵画論を熱弁されていた教授です。私が大学を中退した数年後に亡くなっていたことを今回知り、芸術に向き合って生きることについて思い巡らしています。)
私は第一詩集を出版しようとしていた時、深井克美の絵画『オリオン』が私の詩集で光ってくれたらどんなにいいだろう、と考えました。最終的にはこの絵画は絵画としてあり、詩集は詩集、独立して響きあうもの、と考え実行はしませんでしたが。
絵画を言葉で伝えるのは難しく、私の目の感覚のまま直述すると、「オリオンの微光のもと痛みにある男性と女性が融け合おうと切望し一体化できない悲しみに抱擁しあっている限りなく痛い愛(かな)しい絵」です。
(現在ではWebで「深井克美 オリオン」と検索すれば閲覧ができるページがありました。また
『深井克美-未完のランナー』(柴 勤著、1994年、北海道新聞社)が発刊されていて、彼の絵画の写真が多数収録されていました。)
この絵は『死と生の交わり』という著書で言葉により私が伝えたいと願った魂の響きを、絵画で描き痛切に伝えてくれている、と私は感じました。今もその思いは変りません。
彼の略歴を上述の本から追うと、出生してすぐに母子家庭となり結核、脊椎カリエスを煩い後遺症を抱えカトリック受洗、十代後半から絵画に向かい画家として生き初めて個展を開いた三十歳で自殺と、悲しいものです。彼以上に彼の母を思うと心痛みます。
けれど彼は生きた時間、見る者の心を強く揺り動かさずにはいない絵を描き残した、そのことに、二十代の私は強く共鳴し自分を重ねていました。
深井克美が書き残した文章を今回読んで、彼は生き延びることは、醜く穢れて純粋な美しいもの真実を失い偽善に染まり愚鈍になってしまうこと、それを受け容れてしまうことは画家として死んでしまうことと感じ考えていたと思いました。ある時期私もそうだったのでわかります。彼がそれを拒もうと意思して亡くなったのか、描き尽くし燃え尽き壊れたのか、私にはわかりません。
画家は生き難い、と改めて思わずにいられませんでした。純粋な画家であろうという思いが強ければ強いほど。ジャンルを越え芸術に共通していることだと思いますが。
私は今も深井克美と彼の絵画、特に『オリオン』が、心から好きです。彼の生き方は批評できず、ただ悲しい、でもわかりたいとしか言えません。
深井克美の『オリオン』と響きあうことを願って出版した私の第一詩集
『死と生の交わり』の詩作品の死と生と自殺についての思いと、今の私の考えは、別のエッセイ「自殺を思うひとに」に書き記しています。
精神的な危機の境界領域にいた当時の私は、
ムンクの画集を大切に持っていました。その画集を時おり見返しながら強く感じていた思いが今も変らず私にはあります。
ムンクは代表作の
『叫び』シリーズの時代、徹底してその病む魂からのまなざしを描きましたが、その時間を潜り抜けしぶとく生き抜いた
後年には、太陽の光がいちめんにあふれる生命の賛歌の絵画を描いていることです。
生きのびようとするなら、生を否定する作品をこしらえるのは嘘ではないか、と私は考えます。
病むことでしか感じ取れない深い痛みと悲しみがあります、けれど、そこを突き抜けようとするのは決して嘘ではない。
そのとき生きようという意思、生きたいという願いが、どこかしらに滲んでいると感じとれる作品が生まれてくるのではないか、と考えます。
だから私は、生命の願いを守ろう、育もうとの思いがそこにある作品や、
絵本や童話や童謡が好きだし、とても大切に感じています。そして私も心はそれらにつながるような作品を生みたいと願っています。
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