高畑勲監督作品
『かぐや姫の物語』に感動しました。この美しい作品に感じとれた思いを気ままに記します。
読みはちがっても同じ姓をつづる高畑監督と彼のいろんな作品が私は昔から好きです。たとえば、ハイジなど。『かぐや姫の物語』は予告編で観ようと決めていました。
映画やアニメの評論家ではないので、一人の観客として、私は次のような点に強く印象づけられました。
☆ 絵の美しさ 水墨画や、書の筆跡を思わせる、ラフタッチの線のかすれと濃淡、彩色とその動きは、「初めて見た」と思える、新鮮でとても繊細な映像美でした。日本画の美しさを吸い上げて咲いた花びらが舞い散るようです。日本の古典文学を原作としていること、その美意識を、醸しだしています。
そして単純にそれだけで押し通すのではなく、物語の場面ごとにふさわしい表現方法、油彩画のような場面も、CGでこそ描き出せる場面も、時間の織物に織り上げ、変化、展開感を高めているのが、素晴らしいと感じました。
☆ 挿入歌 作品の登場人物がくりかえし口ずさむ挿入歌。とくに、
わらべうたは、なつかしい、切ない思いを、心に染み透らせるような、美しい調べでした。
観ているときは、私は知らないけど昔からあった歌だろうと感じ、優しい気持ちにしてくれる歌詞を聞いていました。最後の字幕に、挿入歌二曲の
作詞、それだけでなく
作曲も、高畑監督がしているのに驚き、感動しました。彼は詩心を抱く、詩人だなと思いました。
私も詩のなかに自作の童謡を織り込んだいくつかの作品を書いてきましたが、作曲の才能は乏しいようです。ですからなおさら、この映画の挿入歌は素晴らしいと感じます。
☆ 原作『竹取物語』とこだましていること 美しい芸術はこだまします。この映画を観て私は原作の『竹取物語』をすぐ読み返したくなりました。原作の古典と、映画は、美しく響きあっていました。
高畑監督は、『竹取物語』の簡潔な原文に込められているいちばんのメッセージを、深く理解し、映像という表現で、変奏し増幅し高めていると、感じます。
『竹取物語』は
『源氏物語』で紫式部が発見し伝えてくれたように、日本文学における、初めの物語です。それまでの民話や説話、伝説とは違う、人間の内面、愛と悲しみと苦しみ、人間の感情を響かせた創作物語です。
(『竹取物語』の文学史上のこの新しさについては、出典にある
野口元大の解説がとても優れていて教えられます)。
映画『かぐや姫の物語』は、原作『竹取物語』のこの核心を種にして芽生えた映像芸術だと感じました。かぐや姫の、愛と悲しみと苦しみに、心うたれずにいられません。
原作には無い、少女時代の子どもたちとの遊び、兄貴分との時間が生長につれ異性としての思慕、恋となるテーマは、高畑監督の創作ですが、原作を壊していません。『竹取物語』のかぐや姫なら、そのような過去と愛を胸に秘めていると、自然に思えるものでした。
映画と原作のこだまをもっとも強く感じるのは、月に帰ることを逃れられなくなってからの、作品のクライマックスです。今回は、月からの迎えがきて、竹取の翁、嫗と、かぐや姫が引き裂かれようとする、悲しみの場面の原文を引用します。
かぐや姫の思い、悲しみの痛さに心うたれます。
[ご両親を]見捨てたてまつりて、まかる空よりも落ちぬべき心地する。 人間がいます。人間の真実の心の言葉だけがもつ響き、言霊のちからが、こだまを呼び覚ましてくれるのだと感じずにはいられません。
● 以下は出典からの引用です。[ ]は補足された言葉、【 】は現代語訳、( )は読み仮名です。 [天人の王] 屋(や)の上に飛ぶ車を寄せて、
「いざ(さあ)、かぐや姫、穢(きたな)き所【穢土(えど)】に、いかでか久しくおはせむ【どうして長くいらっしゃるのか】」
と言ふ。立て籠(こ)めたる所の戸【戸を立てて姫を閉じこめてあった所】、すなはち【即座に】、ただ開(あ)きに開きぬ。格子(かうし)どもも、人はなくして開きぬ。嫗(おんな)抱きてゐたるかぐや姫、外(と)に出でぬ。え止(とど)むまじければ【とても引き留めることなどできそうもないので】、[嫗は姫を]たださし仰ぎて泣きをり。
竹取こころ惑(まと)ひて泣き伏せるところに寄りて、かぐや姫言ふ、
「ここにも【わたくしも】、心にもあらで【心ならずも】、かくまかるに【こうして連れ去られるのですから】、昇(のぼ)らむをだに【せめて天に昇って行くその最後だけでも】見送り給へ」
と言へども、
「なにしに、悲しきに、見送りたてまつらむ【お見送りしたって悲しいだけで何になりましょう】。われを、[残された後は]いかにせよとて、棄(す)てては昇り給ふぞ。具(ぐ)して【一緒に】率(ゐ)ておはせね」
と、泣き伏せれば、[かぐや姫は]御心惑ひぬ。
「文を(手紙を)書き置きてまからむ。恋しからむ折々、取り出でて見給へ」
とて、うち泣きて書く言葉は、
この国に生れぬるとならば【この国に生れたというのなら】[ご両親の]嘆かせたてまつらぬほどまで【お嘆きを見ないですむ時まで】侍らで、過ぎ別れぬること。返すがへす本意なくこそ侍れ【何とも心残りでなりません】。[せめて私が今]脱ぎおく衣(きぬ)を形見と見給へ。月の出でたらむ夜は、見おこせ給へ【こちらをご覧になって下さい】。[ご両親を]見捨てたてまつりて、まかる空よりも落ちぬべき心地する。
と書き置く。
出典:『竹取物語』(野口元大・校注、新潮日本古典集成) 今回の終わりに、かぐや姫の姿が浮かぶ私の作品を、『かぐや姫の物語』、『竹取物語』とともに響かせます。
芸術はこだまする。
詩「星の王女さま。『 続・絵のない絵本 』」。(詩「死と愛。たきぎと、ぼたもち。(美しい国。星の王女さま)」から)。 次回は、今回の引用箇所に続く『竹取物語』原文の、美しさをみつめます。
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こだまのこだま 動画
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