私は権威が嫌いです。権力者も嫌い。
政治も会社組織も、生き延びるために、他者を蹴落とし、権威、権力、報酬の獲得に、血眼になり、それが生き物の姿、特に男性の本来の姿とするのが、一般的常識だとしても、そういった考え方が嫌いです。
私は高卒です。早稲田政経学部政治学科中退ですが、やめるために一番嫌いな学科に入学しました。だから社会的な学歴は高卒です。
行きたくても行けない人に対して恥じ、両親の心痛めたことを詫びていますが。
学歴が嫌いです。人間に学歴なんて関係ないと思っています。できない負け犬の言葉と言われないためにだけ入学しました。いのちをかける私の詩作品を少しでも心感じる方に接して頂く機会が増えることだけを願って大学名と中退したことを利用していますが、有名大学出身と鼻にかけて、世渡り上手な人たちは嫌いです。
いい詩人はみんな大学やめているので真似をしたところはあります。
詩は心の表現、いちばんやわらかな、ねがい、いのり、愛、それだけの心と心の手渡しなのだから、権威とは対極のものです。信仰が一匹の子羊を見捨てないことで多数意見の政治に折れないように。
だから利益を目指す株式会社ではないのだから詩界は嫌い、詩人の閉鎖的な権威的な団体も嫌い、閉鎖的な詩誌も嫌いです。詩人と称しあう仲間内の閉鎖的な賞の与えあいもつまらないし、詩が心に響くことと賞なんて関係ありません。だから詩集は出しても賞に応募したことは一度もありません。
いちどだけ二十歳の時、小説の新人賞に応募して落ちたことがありますが。
私を感動させてくれた古代からの世界の、日本の詩人、詩、文学で、賞に一喜一憂したようなつまらないものはありません。関係ないところで一生をかけて創り上げつたえてくれた人たちばかりです。狭い仲間内のほめあいは、その場限りですぐ消えます。
嫌いづくしで、好きものが何もない、私は詩や文学がほんとは嫌いなのか?
全然そんなことはありません。そんな権威に関係ないところに、本当に詩が好きな、詩を愛する人、こころがあるのを知っているからです。詩を書くことが本当に好きだし、権威なんか関係ないところに、伝えたい、読んでもらいたい、人の顔と心があるからです。
本当にいい文学は閉鎖的な仲間内の専門用語のがらくたではありません。
気取った現代詩の驕りが嫌い、現代詩人と自称できる感性がわかりません。
現代っていつのこと?
1945年から後だけがずっと現代になるの?
現代ってそんなに偉いの?
詩歌は時を超えて響きあうものではないのか?
私かしたいのは、詩歌をただ好きだ、いいとふるえる感受性、優しいやわらかな心に伝えたい、それだけです。
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でも真っ直ぐすぎて折れちゃったら大事なもの守れない。大事なもの守る為のしなやかさは時には必要だと思います。
きっとそんな方法があると思います。
ホームページいけました。