この約百年間に
女性の詩人が生み出し伝えてくれた詩に
心の耳を澄ませ聞きとっています。生年の順を基本にしています。
今回と次回は
金子みすゞ(1903年明治36年~1930年昭和5年)です。以前から書き記したい気持ちがあった好きな詩人ですので出典も変え、
『金子みすゞ童謡集』(編解説・矢崎節夫、1998年、ハルキ文庫)、底本『新装版・金子みすゞ全集』(JULA出版局、1984年)からの紹介です。読みやすいよう口語表記になっています。
今回は、彼女の作品のうち最もひろく知られている三篇になりました。なんど読み返してみてもいいし、彼女の良さ、個性、感性が光っていると感じるからです。
最初は、海辺で生まれ育ち生きた彼女の身近でいつも泳いでいる「お魚」の詩です。
最初の一行と最後の一行、素直な気持ちの表現、その良さと大切さを教えてくれます。共感できるひとのこころにはそのままどこまでも響きます。
お魚
金子みすゞ海の魚(さかな)はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場(まきば)で飼われてる、
鯉(こい)もお池で麩(ふ)を貰う。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる。
ほんとに魚はかわいそう。
次はたぶん一番知られ愛されている詩です。
彼女は鈴になって鈴の気持ちを感じて鈴とお話できます。小鳥になって小鳥の気持ちを感じて小鳥とお話できます。
そして最後の一連を口ずさむように歌えたひと、みすゞはとても、優れた詩人だと思います。
こどもみんながこのような言葉にふれ、心にもちつづけられたら、と願わずにはいられません。
私と小鳥と鈴と
金子みすゞ私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速(はや)くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
最後に、とてもすてきなタイトルの、彼女の感受性のゆたかさから生まれあふれでた詩を。
ばくぜんと知ってはいても、見過ごして感じとれずにいるものを、そっとささやいてしらせてくれる。
心にねむっている景色を目覚めさせてくれる、詩のよさを思い出させてくれる、詩人がすぐそばに、彼女の声が耳元に聞こえてきます。
星とたんぽぽ
金子みすゞ青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
次回も金子みすゞの歌を少しちがう視点からみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年
3月11日、
イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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