私は自分がなぜ詩で伝えようとするのか、短歌や俳句ではないのか、小説ではないのか、創作・表現を行うと同時に、これまで考え、これからも考えたいと思っています。中原中也が30年の生涯をそうして生きたように。彼の「詩と其の伝統」から、共感した言葉を書きとめ、感じ思うところを記します。
「」内が引用した中也の文章です。
中也はこの評論で、何を伝えようとしたかを、最後にまとめています。
「
何かしら道具を以て作されるものが詩であつて、それは、その
詩の伝統を習得することによつて習得されるものである。それはその
伝統の保守と超克とを問はず、伝統あつての話であり、新体詩と呼ばれて以来の詩の伝統は、猶貧しいものであるから、それを本場からよくソシヤクしなければならないと自ら鞭打したかつた」。
この評論のうち私の心にもっとも響いたのは、執筆枚数に余裕があるのでついでに書いたとしている、次の文章です。手帳にこんなことを記す中原中也はうそ偽りなく詩人だ、と感じます。
「(略)此の世の中から、もののあはれを除いたら、あとはもう意味もない退屈、従つて憔燥が残るばかりであらう。(略)人間が、本来先づもののあはれを求め る傾向を有するからである。即ち、
幸福の実質といふのは、もののあはれである。」
私が本論で強く感じたこと。彼も、詩を、詩歌として広く深くとらえ、一時の流行ではない「詩歌」を生み出そうと考えていたんだということ。排他的な縄張り意識なく、詩と短歌と俳句を「詩心の表現物」と捉え思いをめぐらせていることに共感します。
「(略)
詩の様式は変遷してゆくであらうが、詩そのものが要求されなくなるわけはない。仮りにその要求の満足される場所が生活の方に転移す るとしても、転移したら転移したとしての
詩心の表現物、即ち詩は要求されるのである。現在の所、だから、詩が要求されないのではない、詩といふ「型」、 謂はば
詩の生存態がハツキリしてゐないので、詩を要求しようがものはないのである。」
「(略)短歌や俳句が我が詩心界を代表する如くに一本立ちに、詩は猶それを代表することは出来な く、而も時勢は既に
詩歌として短歌・俳句だけでは間に合はない詩的要求の萠芽を見てゐると云ひたいのである。(略)短歌・俳句は、その形の大小を云ふのではないが、はやかぼそい歌声と我等が耳に響くのである。斯かる時詩は猶男の子として誕生してゐないとあつては、情ないことでもあるが、ただ此の場合、短歌や俳句と いふ詩歌の形態が衰亡することを以て、詩歌そのものの衰亡となすならば早計であらう。
人が、詩歌といふ「ああいふもの」を欲しくなる時がある限り、詩歌といふものは存するのである。」
詩そのものについて「ゆたりゆたり」という中也の独自の言葉は、音に歌のいのちを感ずる詩人だからこそ始めて言えたんだと思います。強く心に響く言葉です。詩は「ゆたりゆたり」。
「(略)
詩とは、何等かの形式のリズムによる、詩心(或ひは歌心と云つてもよい)の容器である。では、短歌、俳句とはどう違ふかと云ふに、その最も大事だと 思はれる点は、
短歌・俳句よりも、度合的にではあるが、繰返し、あの折句だの畳句だのと呼ばれるものの容れられる余地が、殆んど質的と云つても好い程に詩の方には存してゐる。繰返し、旋回、謂はば回帰的傾向を、詩はもともと大いに要求してゐる。平たく云へば、
短歌・俳句よりも、詩はその過程がゆ たりゆたりしてゐる。短歌・俳句は、一詩心の一度の指示、或ひは一度の暗示に終始するが、詩では(根本的にはやはり一篇に就き一度のものだらうとも )それの
旋回の可能性を、其処で、事実上旋回すると否とに拘らず用意してゐるものである。で、これを一と先づ
「ゆたりゆたり」と呼ぶことにして、
此のゆたりゆたりが、日猶浅く大衆のものとなつてゐないので、つまり「ああいふものか」とばかり分り易いものとなつてゐないので、大衆は詩に親しみにくいのだし 、詩人の方も産出困難なのである。」
また、日本の詩歌、詩を、世界の中に位置づけ、人類が生まれてからの時間の流れの中でとらえる思い、「ヤーエ」という一単語の音色を聴き取る感性に、、詩人の矜持と詩人の魂がにじんでいます。
「(略)俳句のやうに微妙なものはないと云はれるが、私自身も随分さう思ふが、だから西洋の詩は微妙でないかといふにさうではない。――因みに、
各民 族の古い時代には、俳句の如く短詩形があり、それがまた非常に微妙なものであつたといふことを、俳句がそれに相当するといふのではないまでも、一応 想起されたいのである。例へば印度古詩。又、
旧約聖書の「詩篇」に於いて、「ヤーエ」と呼ぶ時に、ヤーエといふ一単語の音色が既に今では感じ切れない 程の微妙な意味をも有してゐたであらうことなぞ、一応想起されたいのである。」
私もまた、どうして詩で表現するのか、短歌と俳句ではないのかをいつも意識しています。言葉を道具として詩心を伝える芸術である詩と短歌と俳句は、だからこそ近しいものを持つと同時にまったく別々のものである、という言葉は自ら短歌も詠んだうえで詩を選んだ者だからこそ、頭だけの批評にはない思いが伝わってきます。
「(略)短歌、俳句、詩、といふ三つのものを随分同一性質なものだと思ひ過ぎてゐるのだ。恰かも此の三つのものは、 大工と左官が
或る意味では全く近く、而も別々なものであるやうに別々なものである。
芸術、技術等の世界では、道具とか形式とかの相違が非常に大きい役を演ずるのだといふことは茲でも繰返し想起される必要がある。」
散文と詩歌の違いについて、詩を「人間の歌の呼吸」で捉える中也の言葉は、小説ではなく詩が私の資質にふさわしく生まれてくる言葉だと感じ、詩を選んだ私にとって、励ましとも思えます。
「(略)散文が、詩にとつて代るのだらうと云ふ人があるかも知れぬが(
人間の歌の呼吸が、散文程に長いものとなり得るとは一寸考へられないことからして、散文が詩にとつて変るなぞといふことは荒唐なことだとしか思へない(略)。」
そのような彼は、詩に対してはとても謙虚です。現在の至らなさを越えていくために、先人に学ぼうとする姿勢を見習いたいと感じます。私にとり中也もまた先人です。
「(略)まづ我々
詩人が、詩の生存態をハツキリと掴むことが問題であると思ふ。それにはその本場の作品を、読むことよりほかには手がないと思はれる。 「人間修業」だの、「自然に親しむ」なぞといふことが云はれるが、それはもとより大切乍ら、それと詩とは只関係が密接なだけで、
先づ何よりも先人の作品 は読まれなければならぬ。それを学ばないに拘らず、思念だけでは足りない、何かしら芸術は道具を要するものであるから、作品が読まれなければならぬ 。(略)
思念を現はしてゐるその様子を会得しなければならない。さもない限り、思念の深い人にはなるとも、詩人とはならない。(略)詩人の 性向の新奇と古風とを問はず、
まづはその「道」に馴れなければならぬ。その上での作品でない限り、アマチュア芸だし、民族の詩となる日は来ないのである。」
中也は言います、詩を「大衆との合作になるもの」と。彼が言葉でどのように伝えるのか、どうすれば伝わるのかを繰り返し考えていることに、詩に対する偽りのない、愛情を感じます。
「(略)
芸術といふものが、普通に考へられてゐるよりも、もつとずつと
大衆との合作になるものだからである。これを
短歌や俳句の場合でみると、大衆は今後歌人なり俳人が書いて呉れようと呉れまいと、書いて呉れるとすればどういふ「型」のものを書いて呉れる かゞ分つてゐるし、従つて
大衆の期待がある。」
孤高の魂から真実の言葉を紡ぎ出すことは、ひとりよがりに無意味な知的遊戯物をこねくり上げるアマチュア芸とはまったく別だと私も考えます。創作は孤独に魂をみつめることからしか生まれず、歌が生まれるのはひとりの詩心からでしかないけれど、伝えたい思いの息づかない、読む人になんとか届けたいとの願いがこもらない言葉は死んでいて、決して詩ではない、そんな芸術はありえないと私は考えています。
私は現代詩に大衆の期待がないことを、詩で表現しようとする一人として謙虚に受け止めます。でもそのうえで、詩人としての矜持を持ち、詩歌といふ「ああいふもの」を欲しくなる人に向けて、詩心と愛情を伝えるために、中也に学び、自ら鞭打したいと思っています。
先日記した草野天平は本当の詩人であろうと、寺で修練をつみました。まず思念の深い人でありたいと強く望んだ天平、その詩は残念だけど私にはあまりいいと感じられませんが、彼を私は尊敬します。でも私はより詩人であり、良い詩を伝えたいと願います、思念を深めてゆきながらも。
引用は、
中原中也「詩と其の伝統」。青空文庫(
http://www.aozora.gr.jp/)(入力:村松洋一校正:小林繁雄)を利用させて頂きました。
底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店(2003(平成15)年11月25日初版発行)。初出:「文学界」1934(昭和9)年7月号。
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