「詩を想う」に出てくれた
中原中也が歌った詩から、私の好きな花をここに招きました。
詩集『山羊の歌』の恋愛詩
「盲目の秋」「みちこ」、
詩集『在りし日の歌』の亡くした子供への鎮魂歌
「また来ん春...」などとても好きな詩ですが、著名な詩集の収録詩なので選ばす、そこにはない
未刊の詩から2篇を咲かせました。
未刊の歌も中也にとって大切なものだったと私は思います。タイトルもない
(吹く風を心の友と)には「詩と其の伝統」を書いた中也を感じたから、「また来ん春...」の悲しみは
「嬰児」の愛(かな)しみとともに揺れているから、そしてただ単に私も赤ん坊が好きだからです。
出典は『中原中也全詩集』(角川ソフィア文庫)です。
(吹く風を心の友と)吹く風を心の友と
口笛に心まぎらはし
私がげんげ田を歩いてゐた十五の春は
煙のやうに、野羊(やぎ)のやうに、パルプのやうに、
とんで行って、もう今頃は、
どこか遠い別の世界で花咲いてゐるであらうか
耳を澄ますと
げんげの色のやうにはぢらひながら遠くに聞こえる
あれは、十五の春の遠い音信なのだらうか
滲(にじ)むやうに、日が暮れても空のどこかに
あの日の昼のままに
あの時が、あの時の物音が経過しつつあるやうに思はれる
それが何処か?―とにかく僕に其処(そこ)へゆけたらなあ…
心一杯に懺悔して、
恕(ゆる)されたといふ気持の中に、再び生きて、
僕は努力家にならうと思ふんだ―
嬰児カワイラチイネ、
おまへさんの鼻は、人間の鼻の模型だよ、
ホ、笑つてら、てんでこつちが笑ふと、
いよいよ尤(もつと)もらしく笑ひ出す、おまへは
俺の心を和らげてくれるよ、ほんにさ、無精(むしよう)に和らげてくれる、
その眼は大人つぽく、
横顔は、なんだか世間を知つてるやうだ、
おまへを俺がどんなに愛してゐるか、
おまへは知らないけれど知つてるやうなもんだ。
ホ、また笑つてる、声さへ立てて笑つてゐる、
そのやうな笑ひを大人達は頓馬(とんま)な笑ひだといふ。
けれども俺は知つてゐる、
生まれてきたことは嬉しいことなんだ
ただそれだけで既に十分嬉しいことなんだ
なんにもあせることなく、ただノオノオと、
生きてゐられる者があつたらそいつはほんとに偉いんだ、
俺は知つてゐる、おまへのやうに
生きてゐるだけで既に嬉しい心を私は十分知つてゐる。
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