藤川晶子「平安後期勅撰集における和泉式部歌享受」と「後拾遺集における和泉式部歌享受」を読みました。
受け継がれる「歌人の歌」は、説話もとりこみながら膨らみ豊かに変わっていくものという視点に、片桐洋一「小野小町追跡」と通じあう文学と歴史理解の良さがあり、教えられました。
柿本人麿歌集、小野小町集、和泉式部集は、いずれも本人の歌ではない歌や説話も加えられ変えられ創りなおされ、ふくらんで伝えられてきたけれど、柿本人麿の、小野小町の、和泉式部の、歌と受けとめられ、伝えられてきたことを感じとれるのが文学の豊かさ、文化の受け渡しだと私は思います。
もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る和泉式部 後拾遺和歌集 雑六
(訳)
物思いにふけってると、沢に飛び交う蛍も、我が身さまよい抜け出した魂ではないかと、見る。
コレクション日本歌人選 和泉式部 高木和子訳
好きな、和泉式部の歌です。
和泉式部の「もの思へば」の蛍の歌は、今の岩波文庫からは外されています。
和泉式部の死後に説話化された歌だ(という可能性)からのようです。
(その物語性もふくめて)和泉式部の歌として伝えられ、与謝野晶子などにも享受されてきたまま、伝説も生んだ和泉式部の歌として、心に響かせたいと私は思います。
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