戦争を通して国や組織は、普通に生活している人を
加害者にも被害者にもしてしまいます。そのような状況に個人の力では抗えずに巻き込まれてしまうということでは、開戦という最悪の選択しかできず、他の方策で踏みとどめえなかった無能で傲慢な一握りの為政者と軍人をのぞいた、ひとりひとりの市民、生活者は被害者です。
愚かな
戦争を繰り返さないために、繰り返させないために、私も私にできうることをしたいと願っています。
詩は、政治の言葉と同じ次元の理屈の言葉ではない、と私は思っています。だから、
反戦という主題についても、政治の言葉にまみれ巻き込まれてはいけない、詩心を弱め捨ててはいけないと考えます。
この主題を
詩にしかできないかたちで、詩として、心から心に手渡すことが、私にできること、私が行い続けたいことです。
これまで反戦の思いを核に抱いて発信してきた詩作品を、今回振り返り抜きだしました。
詩「
たこ」
詩「
花火の死に方」
詩「
うつくしい国」
詩「
ぴけ」
詩「
白黒が、セピア色に染まるまで」
詩「
おばあちゃんの微笑み」
これらは何れも詩作品です。だから政治的なその場しのぎの屁理屈ではなく自らを正当化し他を排斥し議論で打ち負かすことを主眼とする散文ではありません。作品の核にある私の、
戦争は嫌だ、殺し合いは嫌だとの心の強い思いだけが真実で、その思いを包んでいる事柄は虚構です。記録文学でもないからです。
詩作品として何より大切なのは、核にある真実を、読んでくださる方の
心に手渡せるかどうか、そのことだけだと私は思います。そのために努力し続けたいと私は願います。
敗戦記念日は、終戦記念日に変えられる、
終戦であり続けさせることで。戦勝国も敗戦国も、そこにいる人の表情を押し隠す国境も為政者も乗り越えてしまう心を持ち続けることで。
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