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『梁塵秘抄』(一)今様、中世の歌謡

 古代から今この時まで絶え間なく流れている詩歌の豊かさをみつめるとき、ふしにのせ声にして謡う歌謡と、文字に書き詠む和歌は、交わったり時に離れたりしながらも、いつも寄り添うさざなみでした。古代歌謡、神楽歌(かぐらうた)、催馬楽(さいばら)につづき生まれ出た歌謡をみつめていきます。今回から数回、平安末期から鎌倉初期の激動の時代に後白河院が執念で書き留め伝えようとした、今様(いまよう)と呼ばれる歌謡をあつめた『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』をとりあげます。

 後白河院は多様な姿の今様をあつめた後、『梁塵秘抄口伝集』として、自らの修行暦、傀儡(くぐつ)などの伝承者との交流、今様を通した霊験体験、今様の謡われた様子を記録しました。その巻第十が今に伝わります。その結びの言葉は、彼の痛切な思いが込められていて、心が打たれます。

 「大方詩を作り、和歌をよみ、手をかくともがらは、かきとめつれば、末のよ迄もくつる事なし。こゑわざの悲しき事 は、我身かくれぬる後とどまる事のなき也。其故に、なからむあとに人見よとて、未だ世になき今様の口伝をつくりおく所なり」
(訳文・新間進一:いったい、詩を作り和歌を詠み書をたしなむ連中は、書き留めておくのだから、末の世までも朽ち果てることがない。ところが今様ときたら、声楽であるという悲しい宿命で、それを伝えるわが身が亡くなった後には、その成果が留まることはないのである。そうであうからして、私の亡くなった後に、人がこれを見て参考にせよというわけで、いまだ世にないはじめての今様の口伝を作り置く次第である。)(略)

 歌人・岡井隆の出典1の次の言葉が、後白河院の無念を言い尽くしています。「文字芸術と対立する音声芸術(こゑわざ)の<悲しさ>はかなさは、いかに口伝を書き伝えようとも、結局は、肉体の消滅と運命を共にするところにある。」
 「音曲、音声芸術の、ふかいふかい陶酔性」、「こゑわざ」の官能的魅惑。歌謡の一番の魅力は今も変わりません。動画を記録し再生して楽しめる今も、歌い手の表情と肉体の動きを目の当たりに肉声に包まれるライブの魅力はその瞬間だけのものであることは変わりません。消え去り過ぎゆく時を感じるからこそ、なおさら感動するのだと 私は思います。

 「遊女(あそび)、傀儡(くぐつ)、白拍子(しらびょうし)といった女性芸能者たち」、「今様のプロとして努力を重ね 、それぞれの芸に並々ならぬ誇りを持っていた。」 彼女たち、ひとりひとりが、歌う声の響き、舞いしなう姿態、黒髪の美しさを、私は思い浮かべずにはいられません。

 次回は、彼女たちの心を込めて歌った今様そのものを、感じとりたいと思います。

●以下は、出典の引用です。

◎出典1
 (一 文字芸術と音声芸術)
『梁塵秘抄口伝集第十』の、後白河院の、(略)特に痛切な言葉、
「大方詩を作り、和歌をよみ、手をかくともがらは、かきとめつれば、末のよ迄もくつる事なし。こゑわざの悲しき事は、我身かくれぬる後とどまる事のなき也。其故に、なからむあとに人見よとて、未だ世になき今様の口伝をつくりおく所なり」
文字芸術と対立する音声芸術(こゑわざ)の<悲しさ>はかなさは、いかに口伝を書き伝えようとも、結局は、肉体の消滅と運命を共にするところにある。(略)
 その『梁塵秘抄』は、今日、声の芸術としては謡われていない。かえって、「文字芸術」として、ひろく享受され、 研究され、大正以降の近代文芸に寄与するところすくなくないというのであるから、歴史は、後白河院の執念に根負けしてしまったというべきか。(略)音曲の、つまり音声芸術そのものの、ふかいふかい陶酔性を、知りつくしていたはずなのである。実際、「こゑわざ 」の官能的魅惑にくらべれば、こうして活字になって詠むばかりの歌謡の歌詞などというものは、よほど当方がその気になって詠むのでなければ、無味無臭に近いのだ。(略)

◎出典2
 『梁塵秘抄』の成立   
 十一世紀後半ごろからさかんになってきた新しい歌謡は、おそらく「今めかしい風体をしたうた」の意であろうか、
「今様」と名づけられた。催馬楽・風俗(同書P10:催馬楽が近畿地方の民謡出自のものを想わせる ものが多かったのに対して、多く陸奥・常陸・甲斐・相模などの東国の民謡ふうのもの)に飽いた人々にとって、新鮮な詩型・内容、そして技巧をこらした旋律など魅惑的であったろう。(略)
 今様の「場」と歌い手  
 今様は法楽の意味で社寺に奉納される場合も多くあったことは『口伝集』巻第十に見えるが、一般には宴席で の興を添えるため、一座した貴族の人々の披露する余技的声楽曲として練習されたのであり、その点、催馬楽・ 風俗・朗詠などと変わることはない。ところが、江口・神崎の港町に集まった遊女や、青墓・墨俣(すのまた)などの 国々の、拠点に住むくぐつめたち、女性の専門歌手が現れて、今様はお座敷唄的にお客を楽しませるための歌となり、芸謡化が著しくなったのである。

◎出典3 
 ★遊女(あそび)・傀儡(くぐつ)・白拍子(しらびょうし)
 今様の担い手として重要なのは、遊女、傀儡、白拍子といった女性芸能者たちである。今様は誰でも歌い得たが、彼女らは今様のプロとして努力を重ね、それぞれの芸に並々ならぬ誇りを持っていた。
 遊女とは宴席に侍(はべ)り、歌や舞をもって座に興を添え、また客人と枕を共にすることも多かった女性芸能者の総称である。傀儡や白拍子を含めることもあるが、大江匡房(まさふさ)(1041~1111)の記した『遊女記』『傀儡子記』によると、江口(えぐち)・神崎(かんざき)・蟹島(かにしま)などの 水上交通の要路に住み、小舟にのって旅客のいる船に近づいてゆく狭義の遊女と、陸路の要衝を本拠としつつ、 漂泊流浪した芸能者である傀儡は区別されている。
 傀儡は男女の集団で行動し、男は、狩猟に従事し、人形劇や手品、奇術などを演じた。女は、美しく化粧して今 様をはじめとする歌を歌い、一夜の客をとった。後白河院の今様の師は、美濃国青墓(みのくにあおはか)の傀儡 乙前(おとまえ)であった。院は七十歳を過ぎた乙前を召し寄せて、熱心にその今様を学んだのである。
 平安時代末期から鎌倉時代にかけて出現した男装の女芸能者が白拍子である。本芸は舞にあり、足拍子を踏 み鳴らしながら旋回するところに特徴があったらしいが、今様や朗詠(ろうえい)を歌ったことも知られる。白拍子として有名なのは、『平家物語』に登場する祇王(ぎおう)や仏御前(ほとけごぜん)、静御前(しずかごぜん)らであろう。祇王、仏御前は平清盛の寵愛(ちょうあい)を受け、また静御前は源義経(よしつね)に愛された。『徒然草』 によると、信西(しんぜい)が磯禅師(いそのぜんじ)に舞を教え、それを娘の静が継いだのが白拍子の始まりであるとされている。

出典1:岡井隆「こゑわざの悲しき―秘抄覚え書―」。『鑑賞日本古典文学 歌謡Ⅱ』(1977年、角川書店)所収。
出典2:新間進一「歌謡の世界―中世から近世まで―」、「総説」。『鑑賞日本古典文学 歌謡Ⅱ』(1977年、角川 書店)所収。
出典3:植木朝子編 『梁塵秘抄 ビギナーズ・クラシックス日本の古典』(2009年、角川ソフィア文庫)。

(*出典からの引用文には、漢字や送り仮名などの表記を一部読みやすいように変えています。)

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年同
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年同
「愛(かな)」1993年同
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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